知寄町の渋滞と鬼界カルデラ〔4608〕2015/11/27
2015年11月27日(金)晴れ
少し風邪気味やったので、昨日は早めに帰って寝ました。で、今朝もゆっくり。おかげで、殆ど回復し、元気に過ごしております。このところ睡眠が足りてなかったので、免疫力が低下しちょったがかも知れない。もう、若くもないので、気をつけんといかんということでしょうかね。ふう。
そんな訳で、今朝、車で家を出たのが7時半。写真は、7時半過ぎの知寄町。ああ。通勤ラッシュだ。こんな感じながですね、この時間は。
普段、ここを通るのは朝の4時代。なので、無人の野を行くごとく、青信号を駆け抜けてゆきます。が、この時間は通勤ラッシュでこんなになっちょりました。
これは、いかにも時間がもったいない、と、改めて実感したことでした。早起きは20分の得。早起きは人生を豊かにする。もう、こんな時間に出勤することはせんぞ、と、固く誓うた朝でした。
知寄町。
地理院地図で見てみますれば、ここの海抜は、0m。そう。0m。ひっくい土地。台風などの大雨では、幾度も浸水してきた地域でございます。
昭和21年の、昭和南海地震では、かなりの期間海の水に浸された、と言います。次回の南海地震でも、長期浸水が予想されちゅうエリアでもあります。
この界隈の、沖積層の厚さは、約30m。
表層部は粘土。シルト層。藩政期初期まで海であったここは、浅い海底の表層部に粘土層が形成されちょります。2mくらい下に薄い砂礫層が挟まり、その下20mくらいまでは貝殻混じりの粘土層。で、その下に薄い火山灰層を挟み、再び30mくらいまで貝殻混じりの粘土層が続きます。その下が、地盤が固い洪積層の砂礫層。
つまり、この界隈で大きなビルを建てるとすると、マイナス30m以上の杭打ちが必要、ということが解ります。
この、洪積層の上に堆積した沖積層が形成されたのは、この2万年以内。2万年ちょっと前の、最終氷河期「ヴュルム氷期」最盛期には、今より100m以上海水面が低く、この知寄町は今より30m程度低い土地でありました。と、言いますか、北から突き出してきた尾根の西斜面。
洪積層の地形で言えば、この西、宝永町辺りに、南の古浦戸湾より切れ込んで入ってくる谷があり、その界隈が一番深くなっちょります。藩政期初期、今の宝永町界隈に深い渕があった、という言い伝えは、そんな地形に由来するものかも知れない。
で、上に書いた、マイナス20mくらいにある火山灰層。厚さは20〜30cmくらいでしょうか。この火山灰層は、この高知の平野に帯状に広がり、アカホヤ火山灰層に比定されます。アカホヤ火山灰を降らせたのは、鬼界カルデラの大噴火。今から7300年前。なので、地層の年代を確定していく鍵層として、便利に利用されている火山灰層。
その鬼界カルデラの大噴火、規模は、ピナツボ火山噴火の10〜15倍、雲仙普賢岳の100倍、と書かれちゅうページもあります。
その時代。日本では縄文時代。縄文文化が各地で花開かせちょった時代、突然降ってわいた火山灰。その火山灰に、多くの、縄文人の生活も埋もれたでしょうし、気候変動によって大きな影響を与えたのは間違いない。
鬼界カルデラは、鹿児島の南。種子島、屋久島の西側の海底火山が形成するカルデラ。
その鬼界カルデラの大噴火により放出された火山灰は、東北地方の地層まで火山灰層を検出できるそうで、その規模の大きさがいかなるものかわかります。ウィキによりますれば、過去1万年の間に地球上で起きた火山噴火の中で、最大規模のものであった、とも言いますきんね。
しかしたかが1万年間。日本は火山列島。いつ、そんな規模の大噴火が起きてもまったくおかしくない土地に、我々は暮らしているのであります。実に不安定な、大自然の気まぐれの中に生きている人類。とんでもない大噴火がいつ起こるとも知れない。
ラッシュアワーの渋滞。そんなことをゆっくりまったり考える時間は、たっぷりありました。