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ジュリアおたあと秋月長左衛門〔4607〕2015/11/26

ジュリアおたあと秋月長左衛門

2015年11月26日(木)晴れ!

昨日のお昼頃から急に冷えてきました。もう、11月も終盤ですきんね。やっと秋が深まってきた、という風情。

昨夜、劇団わらび座のミュージカル「ジュリアおたあ」というのを、かるぽーとで観て来ました。高知ではなかなかミュージカルというものを観る機会はないし、東京とかへ行っても、わざわざミュージカルを観る気もないので、なかなか貴重な経験でした。
ミュージカルと言えば、柳家喬太郎の落語、「歌う井戸の茶碗」というのがYou Tubeで観れますが、これはなかなか秀逸。なるほどこう来たか、という感じの、ミュージカル仕立ての落語だ。

この落語でもデフォルメされちょりますが、ミュージカルというのは、芝居の途中で唐突に歌が始まる。これはこれで、なかなか新鮮。これが好きな人には堪らないんでしょうね。

それはともかく、ジュリアおたあ。良いミュージカルでした。
秀吉の朝鮮出兵で、朝鮮から日本に連行して来られ、小西行長の娘として育てられるようになった、洗礼名ジュリア、日本名おたあ。
関ヶ原で敗北した小西行長が処刑されると、家康にその才気を見初められて奥へ。キリシタンとして、敬虔な生活を送り、多くの人々に救いを与えた、と言います。
最初はキリシタンの利用価値を認めていた家康も、徐々に態度を変え、弾圧の方向へ向かう訳だが、おたあは転ばない。で、3度も島流しに遭うた、というジュリアおたあ。

おたあの慈悲深さは、伝説として今に残る。
昨夜は、その、日本の政治に翻弄され続けた朝鮮の女性、ジュリアおたあを取り上げたミュージカルで、涙してしまいました。

秀吉の朝鮮出兵は、日本では文禄・慶長の役と呼ばれますが、韓国では壬申倭乱と呼ぶにかありません。以前、ソウルへ行った際に、デパートの催事場の特設展示で「壬申倭乱」というのをやりよりました。まあ、酷いことをしたもんだ。

その朝鮮出兵に、我が長宗我部元親も動員され、戦いました。で、おたあのように、朝鮮人を土佐まで連行してきた、という話は、このにっこりでも幾度も取り上げてきちょります。

慶尚道、秋月城主の朴好仁さんと、その一族郎等二百十数名。なかなかの人数だ。で、浦戸城下に住まわせ、好仁さんの長男、朴好赫くんを小姓にした、と言います。おたあが、日本名のおたあを名乗ったように、彼は長次郎を名乗ったにかありません。父の好仁さんは、朝鮮通信使と一緒に帰国。

で、関ヶ原で長宗我部が破れ、山内氏が土佐へ入国してくると、長次郎くんは長左衛門と改名、秋月長左衛門として、山内家に仕えるようになった、と、皆山集にあるそうです。
そして、一族郎等は、潮江川北岸に移住させられ、そこで豆腐製造の特権を与えられた、ということ。特権を与えられたのは68座。鏡川北岸の土手で、朝鮮風の豆腐が作られるようになったのであります。
小生の妄想では、もちろん治安維持の目的もあったでしょうが、治水目的もあったのではないか、と考える訳です。土手の維持管理を、彼らにやってもらう。城下町を守る為の、一石二鳥の施策であったのではないか。

それはともかく、その豆腐作りの店が立ち並んだ鏡川北岸は、朝鮮からの人々の町、ということで、「唐人町」になりました。

写真は、九反田の堤防の上から撮影した風景。お月様の下に、その唐人町。

唐人町開祖の、秋月長左衛門さんのお墓は、筆山にあると言います。そのお墓を探しに、2013年12月14日早朝、筆山の斜面をたつくりました。そして、薬指がヘチ向く事件
長左衛門さんの、胸に秘めた辛い思いが引き起こしたのかも知れない。そんな不思議なできごとでした。

ともあれ。
連れてこられた外国人に対する接し方は、思う以上に、差別的ではなかったように見えます。おたあも、そして長左衛門も。当時はネトウヨもおりませんしね。


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