ソテツ〔4526〕2015/09/06
2015年9月6日(日)雨
あいにくのお天気。ですが、雨の中、今日は、はりまや橋小学校校区の合同避難訓練。校区内各所に津波避難ビルがあります。住民の皆さんは、最寄りの津波避難ビルに一旦避難した後、ここ、はりまや橋小学校へ集合して、防災に関する車両やグッズに親しみ、防災講演会を聴く、というもの。小生も、朝7時からはりまや橋小学校へやって来て、お手伝い。
あいにくのお天気。写真は、地震が発生した、という想定の午前9時のはりまや橋小学校。校舎の時計を見ると、9時。
手前にはソテツ。ああ。ソテツだ。ここにあったのか。
2013年3月をもって、長い長い歴史に幕を閉じた高知市立追手前小学校。ソテツは、その学校のシンボルでした。
昭和20年7月4日。言わずと知れた高知大空襲。その大空襲で、高知市中心部は焼け野が原になり、追手前小学校、当時の第三国民学校も、焼失してしまいました。ぜんぶ。
その焼け野が原から芽吹いたソテツ。それまで、第三国民学校の校庭にあって、空襲で焼けてしまったソテツ。その場所から、奇跡のように復活したのが、そのソテツでした。
爾来、そのソテツは第三国民学校、その後は追手前小学校のシンボルとして、一昨年の3月まで、親しまれ続けてきました。追手前小学校が廃校になり、新堀小学区と統合され、旧新堀小学校の場所に新しい「はりまや橋小学校」できた訳ですが、その東門を入ったこの場所に、追手前小学校のソテツの一部が移植され、2年半を経過した今、こうやってスクスクと育っておるのであります。
今、追手前小学校の跡地には巨大な図書館が建設されておりますが、そこにも、追手前小学校のソテツは残されてゆく計画。
ソテツの持つすごい生命力。小学校のシンボルのソテツがある、というのは、非常に意味深いことやと思います。
都市中心部の小学校もそうですが、特に、中山間における小中学校の統廃合は、まさに劇的に進められてきました。行政機構の無駄も指摘され、財政基盤の維持のために市町村の統合、職員数の合理化も言われて久しい。
今になって、地方消滅の危機をなんとかせんといかん、知恵を出した地方には金を配る、などと言われましてもね。ホントにね。
人口動態など、ちょっと考えればわかりそうな話を、頭の良いはずの中央の官僚さんや政治家は見通すことができんかった。この罪は重い、と思います。
中山間で、学校が消えるということは、就学年齢の子供を持つ家族は住まなくなる、ということ。中学校がなくなれば、子供が中学生になる時点で、親も一緒にそこから離れてしまう、というケースもありました。高校が無い地区に、高校生の子供を持つ家族は住まない。高校がなくなれば、その地区に、高校生とその家族が消えてしまう。そうやって負のスパイラルが加速し、忙しさやストレス、社会の余裕の無さなどから出生率が異常に低くなる大都会へ、若者が集住し、人口が減少、社会の活力が失われてゆく。
これからの地方の再生。それは、中山間に若者が住み、人口が増え、再び元気になっていくこと。それしかない。
役場も、若者定住の重要な産業であるとするならば、無理に統合して合理化をしない。人が居れば、何かが生まれる、価値が創造される、ということを忘れてはならないと思う。
人が居ないので学校、役場をなくす、というのではなく、学校によって、役場のような施設が充実し、仕事が創造されることによって、人々が暮らしたくなる、そんな社会。
人はたくましいのだ。地方は、消滅することはない。風向きが変わってきた。これからの日本は、元気になった中山間によってつくられてゆく。そんなことを感じる今日この頃。
何度もご紹介してきた、旧追手前小学校校歌の2番を今一度掲載します。
広い青空 南国の はえある町の 中央に 残るソテツの たくましく 強く正しく 伸びようよ
楽しい学校 追手前
2013年3月23日に執り行われた追手前小学校閉校記念式典で歌われた、最後の校歌を今一度お聴きください。