また来ました。本山町上関阿弥陀堂奉納相撲。〔4505〕2015/08/16
2015年8月16日(日)曇りのち降ったり止んだり
もう5年か。
今から5年前、2010年8月15日、ここ、本山町上関、阿弥陀堂の奉納相撲を観に来ました。今はもう、まったくもって珍しくなった、大人の部もある奉納相撲。高知新聞で、その奉納相撲があることを知って、一度見てみたかった、上関阿弥陀堂の夏祭りにおける奉納相撲。5年前の昨日、高知県立高知女子大学の清原先生に連れて行って頂きました。
ちびっこ相撲というのは、奉納相撲でもよく見かけます。が、大人の、賞金がどっさり出る奉納相撲は、今となっては珍しい。もちろん嘗て、昔の日本では、あちこちのお宮さんとかで必ず行われておった奉納相撲が、いつしか相撲人口の減少、相撲人気の減退、祭りの縮小などによって、行われんようになりました。
以前にも書いた通り、相撲というのは、ついこないだまでの、庶民の娯楽の王様。
巨人大鵬目玉焼き、というのは、ほんのこないだの話。小生が子供の頃やっておった「パン」も、大鵬の図柄とかが怪獣のものと並んで強いとされちょった。ちなみに、この「パン」とは、都会ではメンコとか言いよったやつですな。我々にとっては「パン」。「パン」は「パン」。
それはさておき、相撲。
このにっこりひまわりでもビッシリご紹介しております、宇佐、真覚寺住職、静照さんが、幕末にずうっと書き続けた日記、通称「真覚寺日記」にも、各所で相撲が繰り広げられて盛り上がっておる様がたくさん出てきます。まさしく娯楽の王様が、相撲でした。
各所、各地には力自慢、相撲自慢が必ずおりまして、地域の名士となっておった。で、色んな場所に出かけていって、相撲を取り、地域の名誉を勝ち取ったり賞金を稼いだり。
賞金稼ぎと言えば、ほんの数十年前まで、賞金がばんばか出る大人の奉納相撲が、各所で開催されており、相撲の強い人は、そんな各所の奉納相撲を回って賞金稼ぎをやっておった、という話も書きました。弊社のD課長のお父さんなんかも、相撲が強く、夏になると県下各地の夏祭りに出かけて行って稼いでおった、と聞きました。なので、ホンのこないだまでの話。
そんな文化も急速に廃れ、大人の相撲を身近に見ることもなくなった。
そんな中、今も、昔のまんまに残る上関、阿弥陀堂の奉納相撲は、当時、高知女子大学清原ゼミが、地域文化研究対象としながらフィールドワークとして一緒に盛り上げておりました。
女子大も、あの翌年には共学になって高知県立大学になり、清原ゼミのフィールドワークもひとまず一区切りを迎えたそうです。が、今も、時間があれば清原先生、見に来ておるそうですが、今日は、別のフィールドワークが重なって、断念。
この風景。
5年前と、何も変わらない風景。そして、残していきたい、残していかんといかん、風景。地方創生などと言いますが、地方が地方として元気に残っていく時、そこには、必ずこんな風景が存在します。必ず。
こういったものが鎹になって、地域の紐帯が保たれ、再び地域に元気が取り戻される。そんな夢。
今日は、日銀高知支店のK支店長さんと、日本航空高知支店のI支店長さんを誘って、やって来ました。県外から高知へやって来た、経済や観光の専門家が、この風景をどのように捉えてくれるのか。
5年前に見た、この風景を、5年経って今一度見てみて。
その間、地方はどんどんと人口が減少し高齢化社会が進んで寂れていきました。この風景の中に、これからの日本のあるべき方向を示すヒントがある、と、思うのであります。
それはともかく、面白かった〜!
お客さんはほぼ100%地元。上関の皆さん。みんな知り合い、親戚。地元のじいちゃんの声援が、とにかく面白い。相撲もそれぞれのランクがそれぞれの熱戦で面白い面白い。かつて、娯楽の王様であったことは、完全に理解できました。これは、ホントに良い。また来んといけませんな。
写真は、大人の部が始まるに際しての神事。前相撲で、一升瓶のお酒をラッパ飲み。
こんな風景が残り続けていくことを祈るばかり。地元と我々だけでは、実にもったいない、そんな良いお祭りでした。