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上岡、空襲、渡し船、仏像構造線〔4370〕2015/04/03

上岡、空襲、渡し船、仏像構造線

2015年4月3日(金)小雨

昨夜は、高知の市内でグッスリ飲みよりました。ホントにグッスリ。たまるか言うばあ、グッスリ。夜中、店を出たら、結構しっかりとした降り方の雨。
満開の桜が、この雨と今朝の風で散り始めちょります。明日明後日の週末も、ホッコリせんお天気みたいですき、お花見は難しいかも知れませんね〜。

ここは今朝の野市、上岡八幡宮さん。八幡様の山の南麓。物部川の対岸から、渡し船で渡ってきよった参道の痕跡。そう。以前は、しゅっとそこに渡しがありました。
上岡八幡宮さんの氏子さんは、この上岡地区と、物部川西岸の旧物部郷界隈。かつて、物部川本流がもっと西を流れていた頃、上岡と物部郷はひとつの集落やったきでしょう。

左手の燈籠は昭和8年の御寄進で、その向こうの狛犬は明治期。そんなに古いものではないのに、何故このように荒れ果てちゅうのか、と申しますれば、橋と戦争が原因。
まず、太平洋戦争末期、海軍航空隊飛行場に近かった上岡は、米軍攻撃の標的になりました。上岡山にも壕が掘られ、トンネルも掘られ、海軍要塞のひとつになっちょったので、攻撃されるのも当たり前。で、かなりの人々の往来があったであろう、この西参道も攻撃されました。そこにあった鳥居は、脚の部分だけ残して破壊。狛犬も被害を被りました。

戦後、南東側の表参道方面は、破壊された鳥居も修復され、きれいになりました。
しかし西参道。物部川に橋が架かり、渡し船で参拝に来る人も減り、いつしか渡し船も廃止になってしまいました。渡し船がなくなると、この西参道を通ることもなくなり、破壊された鳥居や狛犬が修復される必要も無いなって放置され、このような、少し寂しい情景を醸し出すようになった訳です。

物部川の方に目をやると、川の中に岩が点在するのが見えます。以前から、三宝山から稲生の石灰山へつながる地層の露出であろう、という話を書いてきました。
最近、地学を少し齧った知識を動員しますと、たぶん、この界隈を仏像構造線が走っちょります。ペルム紀からジュラ紀にかけて形成された古い付加帯、秩父帯と、白亜紀から第三紀にかけてできた四万十帯の境目。仏像構造線。巨大な断層ですが、今は地震を起こすような断層ではない、と言われる仏像構造線。

Googleマップの衛星写真で見てみますと、三宝連山、稲生の南側に東西に伸びる連山の北裾の直線、浦戸湾を渡って鷲尾連山の北裾の直線、など、素人が見てもハッキリわかる仏像構造線。
その仏像構造線の北側、秩父帯の南端界隈には石灰岩が多いのでありましょうか。三宝山や、稲生の石灰山は、仏像構造線のしゅっと北側の秩父帯にあります。

で、物部川の露頭。
まだ、小生、岩石を見てその種類が判る程のマニアにはなっちょりません。もうちょっと勉強が必要。あの露頭が何岩で、何によって形成されちゅうのか。
手前の赤っぽい岩はチャートみたいにも見えますが、全然違うかも知れません。ああ。岩石の種類がわかるようになりたい。

ところで。あの、川を横切る岩石の露頭によって、川の流れが少し堰き止められるみたいになって、その上流部に流れの静かな場所ができます。そこが、渡し船の往来する場所やったのでしょうか。
上岡八幡宮さんの参道である渡し船は、仏像構造線によって成り立っちょったのでしょうか。ああ。岩石の種類がわかるようになりたい。


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