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浮鞭、海の王迎え、上川口〔4371〕2015/04/04

浮鞭、海の王迎え、上川口

2015年4月4日(土)曇り

今朝は中村。四万十市中村のホテルで目覚めました。昨日の夕刻、幡多地区畜産振興協議会の歓送迎会に参加するべく、車を運転してやって来ました。で、酪農家さんと飲みよったのですが、いや〜、またまた飲みました飲みました。中村の夜を飲み尽くし、目が覚めたら夜が明けちょった、という訳だ。ああ。

今日は、朝から本社で会議があったので、7時半には出発して車で帰りました。写真は、その途中。黒潮町浮鞭界隈。うきぶち。
かつての浮鞭村。浮鞭村は、東側の浮津村と西側の鞭村が合併して明治9年に成立した村。写真左端に見える岬は井ノ岬。

この界隈も付加帯で四万十帯の地層。この美しい岩石の露頭は、四万十帯のものでしょう。岩石の種類を、見ただけでわかるようになりたい今日この頃。ここはメランジュではないので、砂岩か泥岩でしょうか。
あの、向こうの井ノ岬。てっぺんが平らになっちょります。段丘。見るからに海成段丘。そう思うて、国道から陸側の方を見てみますと、ありますあります、段丘。

ここから少し東へ行ったところに、土佐くろしお鉄道の「海の王迎え」という駅があります。以前ご紹介しましたね。後醍醐天皇の時代。1332年、後醍醐天皇は、北条氏に対して挙兵。しかし失敗して隠岐へ流されました。その際、後醍醐天皇の第一皇子、尊良親王は土佐へ流され、この海から上陸したそうです。なので、その浜を王無の浜と呼び、駅名も「海の王迎え」。
尊良親王は、この近くの有井川上流、米原という所に仮御所を建て、住んだそうです。土地の人々に守られながら。
で、後醍醐天皇が隠岐を脱出してクーデターに成功し、建武の新政が始まると上京。上将軍となった訳ですが、南北朝の騒乱の中で足利尊氏にやられてしまった尊良親王。

さて。その、海の王迎え駅。
海岸には何も無いような場所。何故、そんな場所に駅ができたのか、と申しますれば、海岸から20〜30m程上がったところに開けた場所があり、そこが新しい団地として開発され、人々が住むようになったから。
そう。海成段丘。

あの、井ノ岬も海成段丘。どうやら、このにっこりでも何度も幾度も書いてきた、最終間氷期に形成された段丘。12万年ちょっと前、地球はかなり温暖化され、氷河が溶けだして海水面が上昇。今より数十メートル上昇しちょった海水面。その海に、山から流されてきた土砂が堆積、砂礫台地を形成した、という話。もう、飽きました?

この海岸には、道路から20〜30m上がった場所に細長く台地が続きます。名古屋の熱田台地や東京の武蔵野台地を形成した、同じ海進が、ここに海成台地を形成し、団地ができて、海の王迎え駅ができるということになった訳だ。もう、飽きました?

海の王迎え駅の、一つ東の駅は、特急も停まる上川口駅。
上川口の山裾に、「朝鮮国女墓」と刻まれた墓碑があります。「天正中来」「卒年不知」とも刻まれた石。地元の小谷与十郎という人物が、長宗我部氏の朝鮮出兵に同行した際、朝鮮から連れ帰ってきた女性の墓と言います。
遠い祖国を想いながら、異国の地で亡くなった女性。そんな女性は、当時、たくさん居たでしょう。与十郎さんは、どんな思いで、その墓碑を建立したのでしょうか。

大方の海は、靄がかかったように飛沫を上げ、美しく輝いておりました。


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