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今日のにっこりひまわり

4年目〔4347〕2015/03/11

4年目

2015年3月11日(水)快晴!

今日で4年。あの大震災から4年が経過しました。
4年前の3月11日、高知も寒い朝でした。このにっこりひまわりでは、水を張り始めた田んぼの様子をご紹介しております。のどかな早春の風景。その日に、あんな大震災が起こるとは夢にも思うておりませんでした。あの日から、日本という国の在り方が変わってきたように思います。

今朝の新聞には、「暮らし再建、これから」とか「復興の道遠く」などの見出しが並びます。被災地の状況は、まだまだ復興には遠い。原発事故の影響は深刻で、まだまだ長い時間、人々の苦労は続きます。

こないだからご紹介してきております真覚寺日記。震災から丁度4年目の日記を見てみましょう。

安政五年霜月五日 晴
今日も日雇三人来り、井戸を元の如くする。昨今大ニ暖也。夜中風なし。

珍しく、至ってシンプルな記述。当時は、震災から何年目、という意識は薄かったと思われます。では、震災のことを忘れちゅうかと言いますと、決してそんなことはない。翌月12月の日記に、こうあります。

安政五年極月二日 陰天
大ニ寒し。日入過より五ツ迄之内、四度ゆる(中ノ大)。尤長し。同時汐くるひ有とて、人々大ニ騒ギ、山際ノ家へ荷物を運び、老幼を引つれ預ケ置、提灯を持、頻りニ海面を窺ひ騒動するもの多し。甫渕辺も同断なりといふ。

大きめの余震があり、人々が、津波を警戒して避難している様が描かれています。4年経っても、まだ、鮮烈に津波の記憶が残っている様子が窺えます。高齢者や子供を避難させ、海を見て警戒する様。避難弱者に対する対応が、キチンとできています。

ここは久枝。南国市の南東端の、物部川河口西岸に位置する集落。ここには高台もなく、津波からの避難が非常に難しいエリア。この久枝の海岸から、震災後、真覚寺日記を参照しながらにっこりひまわりを書いてきました。
例えば、震災から2ヶ月目の5月11日。安政南海地震から二ヶ月目、安政2年1月5日の日記を引用。震災から初めての正月は、することもなく、地震の回数を数えるのと喧嘩を見聞するくらいのものである、と書かれちょります。
例えば、震災から半年後の9月11日。安政南海地震から半年後、安政2年5月5日の日記を引用。
半年経過しても、大きな余震は止まず。毎月5日は震災の月命日、ということで、特に激しく揺れるのではないか、と想像したりしております。少し大きな揺れがある度に、浜辺の家から山際の家に衣類などを預けにくる模様が描かれる日記。真覚寺さんは山際にあるので、住民の拠り所として重宝されておりました。

真覚寺日記では、震災から1年目には、景気付けに相撲大会をやったことが記され、丁度1年目にまた、何かが起きるのではないか、という不安が描かれちょります。
東日本大震災から2年目の2013年3月11日も、久枝から。安政地震2年目の日記にも、余震に怯え、家財道具を預かってくれ、と浜の住人がやってくる様が書かれ、落ち着いてきたとは言え、復興には遠い感じが見て取れます。

日記を読んでいますと、時間の経過とともに復興が進み、普通の暮らしになっていくのがよくわかります。しかし4年経っても余震は続き、津波に怯える住民の様子も。

東日本大震災から4年経って、高知では、かなり津波対策なども進みました。ここは、昨年完成したばかりの、久枝南タワーの上。津波避難タワーの上から、久枝海岸方面を撮影しました。この避難タワーは、7.08mの地盤の上に、10.83mの高さに建てられています。合計17.91m。この界隈の最大浸水深は、地上4.92m。なので、6mくらいの余裕がある、ということになります。

あの大震災によって、我々の、地震に対する心構えも随分と変わりました。あの大震災を教訓とし、キチンとした備えを粛々とやっていく。風化させずに着々と。


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