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八幡信仰と岡〔4263〕2014/12/17

八幡信仰と岡

2014年12月17日(水)起きたら雪が降りよりました

晴れちょります。が、朝起きて家を出た時間帯には、高知市内、雪が降りよりました。もちろん山は雪。あまりガイに降らんことを強く祈るばかり。

祈ると言えば氏神様。弊社の所在する南国市物部の氏神様はここ。いつもの野市、上岡八幡宮さん。弊社から言えば物部川の対岸になる訳ですが、上岡八幡宮さんの氏子は、物部川の両岸に広がります。これは、かつて、物部川の流路がもっと西であったことに由来するにかありません。

上岡八幡宮。写真は、今朝の境内の風景。中央の灯りが拝殿。鎮守の森の上に一際明るく輝く星が、ぎょしゃ座のカペラ。カペラについては、過日のにっこりでも書きました

昨日のにっこりでご紹介したのが、浅草橋駅近くに鎮座まします銀杏岡八幡宮。隅田川を見晴るかす丘の上に、八幡太郎義家が勧請してきたとされる八幡様。で、ここは上岡八幡宮。太古の昔から信仰の山であった上岡、神の岡に鎮座まします八幡様。
なんか、八幡様には「岡」がつくケースが多い気がします。岡の上に八幡様。
まず思いつくのが鶴岡八幡宮ですよね。鎌倉の。
また、亀岡八幡宮は全国各地にあります。市ヶ谷とか、仙台とか。八幡様と「岡」との関係を誰か研究しちょらんでしょうかね。

それはともかく八幡信仰。
ご承知の通り、元々は大分県の宇佐氏の氏神様。で、そこから全国に広がりました。朝廷でも、天照大神に次ぐ重要な神様として尊崇された時代もあります。宣託しますきんね、宇佐の八幡様は。
そして八幡様は、なんと言うたち、清和源氏の氏神様として広がりを見せました。前九年の役の源頼義、そして息子の、後三年の役の源義家が重要。源義家は、昨日も書いたように、八幡太郎義家を名乗りました。石清水八幡宮で元服し、八幡太郎を名乗った訳だ。

その子孫が源平合戦を勝ち抜き、鎌倉幕府を開きますと、頼朝によって鎌倉に鶴岡八幡宮が創られました。鎌倉は大仏で有名ですが、街の地図を見てみますと、鶴岡八幡宮を中心に都市計画が行われたことがよくわかります。ここで、八幡神は、武家の守護神としての地位を確立したのでありますね。
そこから各地に八幡神が広がっていった、とされます。

ここ上岡八幡宮には、貞和五年(1349年)の年号の鰐口が存在します。「八幡物部庄上岡貞和五年十一月三日」との銘。南北朝時代が過ぎ、室町幕府ができた頃合い。室町時代、土佐では、守護の細川氏が覇権を確立するのでありますが、守護代細川頼益が田村に巨大な居館を構えるのは1380年頃。
この八幡様の鰐口は、まだ、南北朝争乱の影響が色濃く残る時代のものでしょうか。
もちろんそのずっと前から、上岡八幡宮は存在しちょったでしょう。八幡様になる前には、物部氏に関係の深い神の山であったでしょうか。石船伝説が残る上岡山は、物部氏の匂いも強い山。

冬の風が吹く中、静かに鎮座まします八幡様。この風景には、悠久の時間と人々の信仰が刻まれています。


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