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物部川河口が移動する〔3995〕2014/03/24

物部川河口が移動する

2014年3月24日(月)快晴!

良いお天気の月曜日。さわやかな風が吹き、春の訪れを感じさせてくれます。メッソ冷ようない朝ですね。
ここは久枝海岸。会社から物部川沿いを南下した、河口部。一仕事済ませてから撮影してきました。朝6時前の久枝海岸。

この海岸では、自然地形が変化していく姿をハッキリと見ることができます。以前にもご紹介したことがありますが、物部川の河口は、もっと向こうにありました。北から南流してきてまっすぐ太平洋へ。11年前にこのにっこりひまわりを始めた頃は、そうでした。久枝海岸は、平坦な、広い砂浜
当時も、物部川の河口部には土砂が堆積して、太平洋へ流れ出る部分が閉塞しよりました。いつも、その場所にユンボがおりまして、流れ出る部分の堆積した砂を掘り、出口を確保しよったと記憶します。あれは、個人のおんちゃんが、ボランティアでやりよったと聞いたこともあります。
そのおんちゃんとユンボは、いつしか見えんなりました。

その後、大水のときに、物部川はこちらへ抜けたようです。河口部で西に向きを変え、久枝の浜から太平洋へ。そんな頃、このにっこりでもご紹介したことがあります。その出口は安定しちょった訳ではありませんでしたが、流れの北側は土砂の堆積と浸食で、高い壁のようになっちょりました。

今朝の写真。その太平洋への出口は、以前よりも西に移動してきました。そして、その流れの手前に水が。これは、こないだ大雨が降った際、更にこちらに抜けてきて流れた痕跡やと思われます。その水のこちら側は、堆積と浸食で壁のよう。これは、このままにしておけば、時間の経過とともに流れがこちら側に移り、河口はどんどんと西へ移動していくのではないか。
そして、海と川に挟まれた砂丘が形成され、成長していくのではないか。

物部川の本流は、昔、今よりもずっと西を流れよりました。その頃、河口も、ずっと西にあったでしょうか。それが、河口部の土砂の堆積により出口が閉じられ、大水のごとに、河口が東へと移動していったかも知れません。そして、東進する川と海との間に砂丘が形成され、今の前浜や浜改田の砂丘ができたという妄想。
土木の知識が皆無の小生ですき、ただの妄想です。妄想ついでに月曜の朝っぱらからもう一つ。
中世の頃、日本各地で、大きな川の河口部近くにある湿地帯、ラグーン周辺に都市が形成された、という網野義彦先生の話。網野史観で有名な網野先生の本を読むと、海を利用した交易によって、賑やかで自由な都市が日本各所に形成された、という話が出てきます。その都市ができた場所は、河川の河口にできたラグーン界隈が多い。
中世、土佐の中心は今の南国市田村でした。守護代屋敷が置かれ、政治の中心となりました。その頃、田村の南には、ラグーンが形成されちょったと思われます。太平洋の荒波を避ける入り江となり、そこで活発な交易が行われ、自由民が集まって都市が形成されちょったかも知れません。そのラグーンは、物部川河口部の土砂堆積によって河口が移動することによってできたものではないか。全国の河口部のラグーンの成り立ちも、そういう仕組みではないか、と考えてみました。

物部川の河口。このまま護岸工事も行わず、コンクリート護岸も取っ払うて何百年かほったらかしたら。また、物部の河口は東へ移動し、この向こうの河口界隈が水たまりとなって、ラグーンとなっていくのでしょうか。
この妄想が当たっちゅうかどうかは定かではありません。が、間違いなく、大自然は、今の我々が考える以上に有機的に変化し、姿を変え続けてきました。ほんの10年でこんなに変わった久枝海岸が、そんなことを教えてくれます。
動的平衡。絶え間なく変化していく中で、すべてが入れ替わりながら、平衡が保たれていく。それが生命である、という福岡伸一先生の話を思いだします。


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