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久枝海岸の防備〔3719〕2013/06/21

久枝海岸の防備

2013年6月21日(金)雨もよう

台風はどこを通りゆうのか。雨も、適度に降りよります。ガイな雨ではありませんので、ボッチリかも。昨日は、与島を通って坂出に戻り、それから松山へ。夜、松山から国道33号線で高知までモンて来ました。が、雨はそんなでもなかったので、仁淀川もキレイに流れよりました。

さて。
ここは今朝の久枝海岸。会社から物部川沿いを南下、太平洋に流れ込む西岸が、久枝海岸。サーファーの多いところですが、台風がしゅっとそこに居るので、さすがに海には誰っちゃあおりませんでした。
この堤防上には、こんな看板。これは怪しい。誰が描いたのか、これでもか、と言うばあ怪しい。土佐湾で、大量の大麻を積んだ密航船が摘発されたこともありましたき、こんな看板が立てられちゅうがでしょう。大事なことです。

久枝は、現在は南国市久枝。農漁村で、「土佐州郡志」には「其地砂土、里人網魚」と書かれちゅう村。今の久枝地区よりもかなり広かった久枝村。その、村の中心部は、ほとんど、戦争中に海軍に接収され、南部の浜辺の集落のみになってしまいました。長宗我部地検帳では、長宗我部家臣の給地が多いにかありません。明治9年の人口は1168人。南国市のホームページでは、今年5月末現在で228人。減ったもんです。これは、空港工事に際し、かなりの人口が村外へ流出したがが大きかったでしょうか。

当時はなかなか賑やかやったにかありません。戸数271、人数1,168、馬54、牛3、商36、工10、漁49、雑33、という調査結果があります。残りは農ということでしょうか、ようわかりません。
物産は、米1,858石、タイモ3,000貫、カライモ6,900貫、鶏卵76,000個、食塩500石、とあります。これは、なかなか。鶏卵が多いのと、製塩が盛んやったことがよくわかります。村内消費の他、山田、赤岡、高知へ販売しよったと書いちゃあります。高知の城下から赤岡を経由して室戸方面に向かう「下街道」が村内を突っ切っちょった、交通の要。物部川沿いで、渡し場ももちろんありました。

この海岸部に久枝浦ができたがは、実は、かなり遅うて幕末近く。嘉永の頃。南海地震津波のちょっと前頃でしょうか。浦立てされた、そのすぐ後に大津波に襲われたと思われます。しかし、津波後も、浦は消滅することなく残りました。
今の空港滑走路のところにあった、標高28.2mの山、室岡山。地元では「命山」「宝山」と呼ばれた山に逃げて助かった方も多かったかも知れません。

震災後、久枝の浜に外国の侵略に備えて砲台がしつらえられたりしたがはご承知の通り。太平洋戦争の頃にはトーチカも。今は、この海岸から攻め込んでくる敵も居らんでしょうが、やはり海は外国とつながっちゅうので、良からぬことを考える輩も後を絶たんでしょう。で、こんな看板が立てられることになります。


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