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岡山と石山〔3685〕2013/05/18

岡山と石山

2013年5月18日(土)岡山は晴れとるが

まだ出張中です。ここは岡山。
昨日、名古屋から広島に移動して福山、岡山とモンてきました。そんな訳で、昨日の15:50から、RKC高知放送のテレビで放映した「こうちeeプラス」で、小生が高知のディープな痕跡をご紹介する場面は、まだ、よう見ちょらんがです。Facebookには、色んな方がテレビ画面の写真を上げてくれちょりますが、実物はまだ。録画しちゃありますき、帰ったら見んといけません。のに、今日は岡山のお客様のところから会社にそのまま帰って会議、その足で市内での会合、懇親会と続きますき、家に帰れるがは夜中。それまでオアズケ。

それはともかく岡山城。
岡山という県名の由来が、岡山城が立つ小山の名前からきちゅう、という話は以前にも書きました。最初に、この界隈に城がつくられたのはいつの頃でしょうか。とにかく戦国期。天正元年(1573年)に、宇喜多秀家のお父さん、直家さんが、今の岡山城の西にあった「石山」を攻め落とし。そこを本拠とすることに決めたそうです。

秀家さんの時代になり、秀吉幕下で有力大名に出世、石高も57万石の大大名。で、秀吉の意見で、石山城の東の、岡山という丘に、豪壮な城を築城することになった訳です。慶長2年(1597年)のこと。で、岡山城と呼ばれ、それが、城主が変わっても明治まで続き、廃藩置県の際、県名をつけるに際して岡山県になったがでしょうか。
さすれば、もし、石山に築城されちょったら、石山県になっちょったがかも知れません。
高知のことを考えてみてもわかります。
現在の高知城の山は、元々大高坂山。そこに山内一豊さんが築城し、潮江川(鏡川)と大川(江ノ口川)に挟まれた山の城、ということで。河内山城と呼ばれるようになり、川の氾濫に悩まされる中、河内という漢字を高智に改め、そして高知になったがはご承知の通り。高知城。で、高知城の城下町が高知と呼ばれ、それが県名になっていったという歴史。

たぶん岡山も岡山城の城下町ということで、街が岡山と呼ばれ、それが県名になっていったと思われます。すると、そのお城が岡山城ではなくて石山城であったら、石山と呼ばれる城下町が形成され、そして廃藩置県で石山県。おおいにあり得る話ですな。
そうすると、日本には石山県と石川県が存在し、ライバル意識をもって張り合いよったかも知れません。これは妄想の暴走。

話が逸れました。
写真は、岡山と石山の間から岡山城を撮影したもの。お城の周囲、古い立派な建物と、そうでもない建物と、空き地が混在します。この空き地の向こうはお堀。その向こうが岡山という丘で、その上に天守閣。あの天守閣は、昭和41年に鉄筋コンクリートでつくられた偽物。その時代、文化財に対する考え方が稚拙で、そんなことをしでかされた文化財が、全国にどっしこあります。ちょっと悲しい。
今、岡山城は、石垣や構築物、そして御殿の配置など、昔の歴史や遺構をキチンと見て、学べるようなものになっちょります。岡山県教育委員会さん、ありがとうございます。

この右手の一軒家、空き家です。が、ちょっと素敵なので、この写真に入れ込みました。鉄筋コンクリートの天守閣より、この普通の何げない一軒家の方が、私は好きです。


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