安田川、森林鉄道、エヤ隧道〔3438〕2012/09/13
2012年9月13日(木)曇り
今、安田町の、安田川をさかのぼった、旧中山小学校からちょっと山へ入ったところで、このにっこりを書きよります。何故か。それは、小生のFacebookをご覧になるとよくわかります。いや、たいした話ではないので、詳しくは書きません。はあ・・。
その、今は廃校になった旧中山小学校の横の道を、安田川沿いに遡っていくと、狭い道路の横に、素敵な隧道があります。森林鉄道のトンネル跡。昔、ここを森林鉄道が通り、馬路や魚梁瀬の木材を搬出しよった訳です。その遺構はあちこちに残り、その軌道の痕跡も、田野町内に残ります。
この隧道の入り口脇には、親切な説明板が設けられちょりました。地元の、森林鉄道遺産を残していこうと頑張るグループの皆さんによります。
エヤ隧道
建設年 明治44年
構造様式 石造隧道
所在地 高知県安芸郡安田町別所
切石砂岩の空積みでつくられた石造隧道。全長33.2m。トンネル断面は半円アーチ形で、内法幅は約3m、内法高は約3.5m。坑口アーチの頂部には五角形の盾形の要石が付けられています。また、東西の坑口には、川下からの順番を示す「I」の刻印があり、田野ー馬路間の森林鉄道開通当時の建造を証明しています。
東坑門には石造の翼壁が現存、現在は未使用。
と、詳しく説明されちょります。切石砂岩とは、この壁面の直方体の石でしょう。空積みとは何ぞや。ネットで調べると、「裏込めにコンクリートやモルタルを使わずに、割栗石や砂利を用いて石を積み上げる方法である。 練積みに比べ脆弱であまり高く積んではならない。」とありました。コンクリートなどで固めちゃあせん訳で、それが、101年を経過した今も、このように崩れもせず、美しいフォルムを保っちゅうがはすごいと思います。
馬路村へ行く途中には、こんなトンネルが各所に残っちょりまして、往時を偲ばせてくれます。山中には、まだ、線路が残っちゅうところもあると聞きます。ニッポンの、明治から昭和初期の産業を担った鉄道の痕跡。見た目も美しく、大自然と産業技術が見事に融け合った遺産で、懐かしがるだけではなく、立派な観光資源としても活用できるものではないでしょか。すごい。
この隧道の横の安田川には、今朝も、数名の太公望。今朝の高知新聞に載っちょりましたね。今年の高知の鮎は、川によって悲喜こもごも。ここの安田川や奈半利川。安芸川などの県東部の川は、比較的良かったようです。西部では、四万十川上流は雨で濁りが多く、不漁。そんな貴重な四万十中流域の見事な大きな生鮎を網で焼いて食べたれたがは、超ラッキーやったということです。
高知市を流れる鏡川は、非常にエイらしいですね。鏡ダムから下流には、いつもたくさんの釣り人が並んで釣り糸を垂れよります。産卵場所の川床の整備などが効いてきたがでしょうか。
最悪は物部川。何度も書いたように、上流での土砂の崩壊、ダム底への堆積が始末つかんと、毎年こんな苦労をせんといかんがが物部川。
さて、まだ、もうちょっと、ここで待たんといけません。近所のおばちゃんが冷たい缶コーヒーを持って来てくれました。なんという温かさ。こんな、素敵な人情に触れるのも、また嬉し、です。