東野土居遺跡と道路工事〔2868〕2011/02/21
2011年2月21日(月)晴れちょります
朝の気温が高うなってきました。夜明けも、ちょとづつ早うなりよりますね。季節は、確実に春に向かいよります。
ここは香南市野市、土居の、東野土居遺跡をちょっと東へ行った、香宗川の堤防の上。高知東部自動車道の工事現場を撮影してみました。この向こうに、東野土居遺跡があります。昨日、現地説明会をやりよったようです。弥生後期、今の空港のところの田村遺跡の集落が、各地に分村していきました。その、田村の弥生文化を継承し、その後の時代へとつながっていくがが、この向こうの東野土居遺跡。
昨日のバーガ森北斜面遺跡ぢゃあございませんが、ここも、かなりの大規模集落であったことがわかってきました。いずれも、このように道路工事をする為の発掘調査でそのすごさが明らかになってきた遺跡。
皮肉なことに、道路工事のお蔭で発掘され、道路工事によって消滅または埋められてしまう遺跡。こういった公共工事でもないと、遺跡は発掘に至らんがが寂しいところ。
昨日、埋蔵文化財センターの方にお伺いしたところによりますと、元々、バーガ森北斜面遺跡が発見されるきっかけになったのは、地元のおんちゃんが、あの下を流れる宇治川改修工事で掘り出される土砂を、毎日眺めよったことらしいです。何か遺物が出てくるかも知れん、という直感が働いたおんちゃん、遂に、その土砂から遺物をみつけ、そしてあの、四国最大級の高地性集落発見に至ったというお話。
皆さんの住む地域にも、ひょっとしたらすごい遺跡が眠っちゅうかも知れません。要は、興味を持ち、直感を働かせること。維新期以外の高知にも、すごい歴史があったことを、もっと明らかにしていこうではありませんか。
ところで、写真右手に見える山は三宝山。あの山と、何度かご紹介した鴻ノ森、そして烏帽子山は、古代の土佐の条里を形成するに、こじゃんと大切な山やった、というお話を、昨日伺いました。この興味深い話は、またの機会にいたしましょう。
いや、歴史の話になったら止まらんなります。