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香宗我部城、中原氏〔2694〕2010/08/31

香宗我部城、中原氏

2010年8月31日(火)あづい・・

今日で8月もおしまい。毎年の事ながら、何となくもの悲しさを感じる8月31日。夏休みが今日でおしまい、という子供の頃の感覚が染みついちゅうがでしょうね。

ここは野市の香宗我部(こうそがべ)城趾。このにっこりひまわりで、まだここをご紹介しちょらんかったですね。これはいかん。

ここは、鎌倉時代から戦国にかけて、香宗我部氏が支配した地域。土佐の戦国七雄の一人に数えられる香宗我部氏の勢力は、野市、赤岡、吉川、香我美、そしてひまわり乳業のある物部界隈まで広がっちょったそうです。

長宗我部氏は、秦氏の一族が土佐の長岡郡の宗我部郷へやって来て、長宗我部を名乗ったという話がありますが、最近では古くからの国人領主やったという説もあり、はっきりしません。が、香宗我部氏は、いつから始まったがかはっきりわかっちょります。

甲斐の武田氏一族一条忠頼の家臣、中原秋家さんが、主君が源頼朝に誅せられた際に頼朝家臣となり、ここ土佐の、この界隈の支配を任されました。1184年のことです。で、主君忠頼の息子秋通くんを養子にして中原秋通とし、1193年、つまり鎌倉幕府開府の翌年、香美郡宗我部郷と深渕郷の地頭職に任命されたのでありました。それが香宗我部氏のはじまり。秋家さんは隠居して、山田の山田氏の祖となったそうです。西に境を接する、当時もそして現在でも土佐の名族、入交家とも、この最初っから関係が深いみたいですね。

で、戦国後期まで隆々と栄えた訳ですが、東の安芸氏が攻め込んできて滅亡の危機に瀕しますが、ここで長宗我部元親さんの弟、親泰くんを養子に迎えて新局面を迎え、長宗我部氏とその命運を共にしていったのでありました。

この親泰くん時代、この、城八幡のある森は広大な城館の東北隅にあり、鬼門鎮護の八幡様やったと思われるそうです。今は田んぼやビニールハウスの多いのどかな地区ですけんど、当時は、周辺に家臣の屋敷地とか職人さん達が住んだエリアなどが広がって、立派な城下町の風情やったみたいです。想像してみましょう。


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