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蚊居田城は沢城で湿地帯の中〔2684〕2010/08/21

蚊居田城は沢城で湿地帯の中

2010年8月21日(土)今日も暑いです

ここは南国市の浜改田からちょっと北上した田んぼの中。里改田になるでしょうか。道路脇にこのような標柱が立てられ、西側に鬱蒼とした森があります。以前にも一度ご紹介したことのある、沢城跡ですな。

戦国期、ここに蚊居田(かいだ)氏という有力な豪族が住んじょりました。土佐には戦国7雄と呼ばれる有力守護大名が各地に跋扈しちょりましたが、「森・国沢・千屋・蚊居田の四家、勢守護に次ぎ、各々二千貫主也」とあるように、なかなかの勢力やった訳です。

森氏は現土佐町森を本拠としつつ高知市の筆山まで勢力を拡げちょりましたし、国沢氏は現在の高知市の中心部、堺町界隈が本拠の有力者。千屋氏はこの蚊居田からちょっと北東へ行った、空港滑走路南側界隈が本拠。

蚊居田氏はどんどんと勢力を伸ばした長宗我部氏と姻戚関係を結び、長宗我部元親、盛親時代は蚊居田修理さんが長宗我部一族と姻戚関係を結んで重臣となりました。浦戸の奉行をつとめたと言いますきに、なかなか重く使われちょったことがわかります。

この場所は田んぼの中。つまり、まったくの平地で、そこに本拠を構えちょったということは、戦闘での防御を考えちょらんかったという風に見えます。戦国期になるまで、この北東の千屋氏の北に守護代細川氏の豪壮な居館がありましたが、そこもまったくの平地。南に広がるラグーンに面しちょったと言いますきに、船の出入りに便利であることが一番重要視された条件やったと思います。ここ蚊居田氏の居館も「沢城」と呼ばれたように、湿地帯にあったと想像されます。沢城は、山の中にある替わりに、湿地帯の中にあることによって外敵の侵入を防ぎよったがかも知れません。また、船による交易で儲けよったがかも知れません。

今は訪れる方もいない城八幡。そんな歴史の案内板くらいあってもかまんと思いますが、あったのはこの標柱のみでした。


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