浦戸湾、丸山台初上陸!〔1846〕2008/05/05
2008年5月5日(月)こどもの日は雨が降ったり曇ったり
いやいや、今日は嬉しいことがありました。今日は大潮。干満の差がこぢゃんと大きい日ながです。で、高知市界隈の干潮がお昼ちょっと前。そこで、お昼前、鏡川河口の新田へ行ってみました。お目当ては丸山台。
このにっこりでもびっしりご紹介したことのある、浦戸湾の中に浮かぶ島、丸山台。2006年10月14日のにっこりとかをご参照下さいましたらよくわかりますように、普段は完全なる島なのであります。が、河口の堤防から見よりましたら、どうやら、大潮の日の干潮時には、歩いて行けそうに見えます。そこで、今日はチャレンジしてみました。
新田の堤防を降りると、そこは干潟のように、広い広い川底が露出してきちょりました。所々、くるぶしくらいまではぞぶらんといかんところもありましたが、アッと言う間に丸山台のそばまで歩いて行けました。しかし、島の手前が深い淵になっちょって、そのままでは島に上れません。で、見渡してみると、島の南の方が干潟になって、上れるようになっちょります。ちくと南の方へずうっと迂回し、その干潟から上陸。生まれて初めて、丸山台を自分の足で踏んだ、記念すべき瞬間でございました。これっぱあ、毎日のように眺めゆう島に、まだ一度も上陸したことがなかったというがもハガイかったがですが、これで満足。
島は、ご覧のように公園みたいになっちょりますが、手入れはされやあせんみたいなので、かなり野趣溢れちょりました。川鵜の糞がすごい、てな話を聞いちょったがですが、全然そんなことはなく、静かできれいな島でした。
ひまわり太郎の視線の先に、板垣退助さんの邸跡があります。明治15年5月、つまり今の季節に、岐阜で暴漢に襲われた後、無事に帰ってきたことを祝う大懇親会がこの島で繰り広げられたとか。その後料亭「此君亭」さんが買い取って「丸山台温泉場」として整備し、まさしく自由民権運動の重要な活動場所としても栄えたのでありました。
その丸山台、大潮の干潮時には歩いて来れることがわかりました。感動してあんましゆっくりしよったら、潮が満ちてきて帰れんなったりするきに気を付けんといかんです。