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知っとく健康コラム

ジャジャーン「人類と牛乳の歴史」パート12003/05/31

とっても勉強になると評判の「ここだけの話」(嘘です)、今回から2回に渡って、「人類と牛乳の歴史」という壮大なるテーマで書いてみたいと思います。と、申しましても、所詮わたくしひまわり太郎が書くモノですので、お気軽に読んで感想なんかを聞かせて頂ければ嬉しいです。

さて、それでははじまりはじまり~。

日本人はいつから牛乳を飲んでいるの?

さてさて、それでは、わが国ニッポンでは、いつから牛乳が飲まれているんでしょうか?最初に飲んだヒトのコトはよく判ってません。「牛乳を飲んだ」と記録されている一番古い記録をひもといてみましょう。それはいつの記録と思いますか?明治維新後の文明開化からでしょうか?それとも江戸時代の長崎出島から?

答えは、ずっとずっと昔、西暦640年代にさかのぼります。中大兄皇子と中臣鎌足がひき起こした「大化の改新」はご存じですよね。その時に即位した孝徳天皇に、善那というヒトが牛の乳を献上したところ、天皇陛下はとても喜んで、善那に「和薬使主(ヤマトノクスリノオミ)」という氏姓を賜った、という記録が残ってるんですね。どうです、古いでしょ?

その後、律令制度の中に組み入れられて、「典薬寮」という組織のなかの「乳戸」で牛を飼って乳を搾っていたそうです。そこの長官は「乳長上(チノチョウジョウ)」と呼ばれ、とっても偉かったそうですね。当時、牛乳は薬として用いられていたので、それを扱う者には一種の権威が与えられていたのですね。

日本でつくられていた「乳製品」

それでは、冷蔵設備がまったく無いその時代、牛乳はどうやって保存、利用されていたのでしょうか。搾った乳をその場で飲む以外に、牛乳を「飲む」ことは不可能でした。そこで、今で言うところの「チーズ」の様な乳製品に加工して利用していたんですね。平安時代の延喜式という法律規則に、関東、中国、四国(もちろん土佐国も含む)地方の47ヶ国に、税金として、7年に1回「蘇」を納めるように定められています。「牛乳1升を煎じて蘇1斗を得る」と、書いてますので、「蘇」は、煉乳の様な濃縮乳かバターオイルではないかと言われてます。涅槃経に、「酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出す」とあるので、この「酥」が「蘇」と同じであるとすれば、酪は、ヨーグルトのようなものではないかと考えられます。更に、「蘇」に手を加えて「醍醐」を作っていたとのことで、「醍醐」は、発酵バターかチーズみたいなものだったんでしょう。有名な後醍醐天皇の名前は、この「醍醐」から来ています。大好物だったようですね。

牛乳にとって「暗黒の中世」

せっかく、牛乳を利用する習慣がニッポンに根付いていたのでありますが、残念なことに、中世に入ると、だんだんと廃れて行きます。もちろん、牛は、農耕には欠かせない動物であり、農家で搾って利用する、ということは細々と行われてきたのではありますが、公の機関が薬として利用したりする習慣はなくなりました。残念ですね。

しかし、やっと、日本でも本格的な乳牛が輸入され、乳搾りを目的とした「酪農」の夜明けが訪れます。それは、江戸時代中期、徳川吉宗公の御代のことでした。


次回のコラムではこのつづき、日本酪農大躍進の歴史を書いてみたいと思います。お楽しみに!

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