浦戸湾七河川源流ラン第一弾!「舟入川」〔816〕2005/07/10
2005年7月10日(日)雨のち曇り
てな訳で、浦戸湾七河川源流探しラン、早速今朝からスタートさせました。やるこた早いです、おんちゃん達は。
いきなり鏡川や国分川は距離がありすぎるので、第一回目の今日は「舟入川(ふないれがわ)」。朝、高知県立美術館に集合したのはランニングクラブの物好き3名と車でサポートしてくれる市役所のS君の総計4名。舟入川は、この美術館のすぐ東側で浦戸湾(国分川)に流れ込みます。
適度に雨が降る、こぢゃんと快適なランニング日和のなか、その河口部を出発した我々は、同級生の噂話をしたりしながら大津地区を駆け抜けます。
土佐日記の紀貫之さんが宴会した鹿児崎で記念撮影、紀貫之船出の地の碑が立つ大津小学校を左に見、右手に白太夫神社、天竺右近花氏の城跡山を右に見たりしながらひたすら遡行します。ひまわり太郎の詳しい解説付で、歴史探訪ランの趣きですな。
しばらく走ると南国市の後免(ごめん)の町。舟入川は後免の街中を水量豊かに抜けております。
それもそもはず。舟入川は、藩政期初期、土佐藩の名執政野中兼山さんによって、物部川から灌漑用水を走らせ、広大な水田を開くために作られた川で、その水運を利用して産業を発展させるため、この地を諸役御免(無課税)の地として定めたのであります。だから今でも「ごめん」。
ここから、降りしきる雨の中豊かな田んぼの中を駆け上がると、「舟入川」源流の山田堰にたどりつきます。野中兼山さんが、ここにこさえた山田堰から農業用水として引いたのが「舟入川」ですきに、この写真の所が「源流」ということにしましょう。ちなみに昔の山田堰は、昭和48年に合同堰ができて、その役目を終えちょりますが、今でもその遺構を見ることができます。
おんちゃん達は、ここから更に東上、「夢の温泉」まで走って、温泉につかり、サポートS君の車で帰ってきました。充実ですな。