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逢坂トンネル、逢坂隧道、遍路道〔5267〕2017/09/16

逢坂トンネル、逢坂隧道、遍路道

2017年9月16日(土)雨

色んな行事が台風で中止になったり延期になったりしたので、今日は時間ができました。そこでやって来ました、四万十市中村。弊社の中村支店。

台風に向かって来た訳だが、まだ、台風のタの字も感じられない静かな中村。

 

中村市(現四万十市)と大方町(現黒潮町)に間には、逢坂トンネルがある。国道56号線。この立派なトンネルができたのは平成4年。これでももう、四半世紀前につくられたトンネルなのか。

その新しいトンネルができるまでは、この写真の左側の道をずっと行った先に掘られていた、二代目逢坂隧道。そう。今のは三代目だ。

二代目逢坂隧道ができたのは昭和37年。僕が1歳のときか。その隧道の痕跡が残ってないか、この先へ歩いて行ってみましたが、数十メートルで行き止まり。トンネル入り口は、土に埋もれて発見することは叶わなかった。

そして初代。初代の逢坂隧道は、今も煉瓦造りで残ってます。たぶん。現トンネルの西側から、鬱蒼とした草をかき分けて登っていくと、煉瓦造りの隧道にたどり着くことができます。数年前、探検しました。今日は雨ですし、あまりにも鬱蒼としているので、探検はやめちょきましたが。

その煉瓦造りの隧道が掘られたのは明治29年。近代土木遺産にも指定されちゅうという、なかなか趣深い隧道なので、ぜひ、みなさんも探検してみてください。

その隧道が、僕が生まれる頃までの幹線路だったのでありましょう。

 

逢坂隧道。

逢坂峠とか、逢坂関とか、逢坂という名称を冠した場所は、たくさんあります。高知で一番有名なのは、もちろん、一宮から医大の方へと抜ける逢坂峠。あの道が国道であった頃、交通量の多い、渋滞の発生する峠でございました。

全国的に有名なのは、なんと言うても逢坂の関。京都から滋賀県向いて走ってますと、山城国と近江国の間の一番標高が高いところが、逢坂の関。

 

これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関

 

百人一首、蝉丸法師のこの短歌は有名で、以前にも告白したとおり、百人一首で僕が取れる数しくない札のひとつだった。

逢坂の関は、古来、交通の要衝。京の都から東国へ向かうには、必ずと言うてもよい程通過する峠。藩政期になっても、東海道と中山道が通る重要な関だ。

蝉丸の歌にもあるように、多くの人々が往来し、たくさんの出会いや別れがあった、逢坂の関。一昨年の10月、京都に泊まっちょった際に、突然思い立って大津まで走ったこと、あります。七条通から東進、京都女子大の横を抜けて山科へ。そして山科から、逢坂の関を越えて大津へ。

意外にも、近かった。京都から大津までは、朝飯前に、行けるのでありました。でも、とても重要な場所であった、逢坂の関。

 

たぶん、最初は大坂。大きい坂。急な坂でもなく、長い坂でもない、大きい坂。重要な街道の坂は、大きい坂なんだろうと思う。

で、その峠は、人々が往来し、休憩し、様々な出会いがある、そんな場所。だから、大きい坂であるおおさかに、逢坂という文字を充てたのか。

 

今日の話は逢坂トンネル。四万十市の。逢坂という坂があり、峠があったのでしょうか。明治29年までは、逢坂峠という峠を歩いて越えていたのだろうか。

初代逢坂隧道の全長は71.3m。峠は、そんなに険しくはないのかも知れません。が、荷車などが通れるように、明治29年に掘られた逢坂隧道。

 

初代逢坂隧道、鬱蒼とした道を整備したら、遍路道として、使えるのに。お遍路さんも、こんな交通量の多いトンネルより、静かでおしゃれな煉瓦造りの隧道を歩いてみたいと思うに違いない。


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