家畜考〔5067〕2017/02/28
2017年2月28日(火)晴れ!
良いお天気。朝晩は冷えますが、日中の暖かいこと。もう、明日から3月。春だね〜
今日の午前中、高知県庁に用事があって向かってましたら、前を行くのがタンクローリー。東部自動車道高知南インターチェンジ出口で、信号待ちになったので、撮影。このローリーは、幡多郡の酪農家さんの生乳を、弊社南国工場まで運んできてます。南国で生乳を下ろして、幡多へ帰るところか。
高知県で、酪農さんが多いのはどこか。
人数で言うと、南国香美香南。元々、高知一の酪農生産地帯だったので、昭和40年に弊社が南国工場を建てた訳だ。次にくるのが、幡多郡。大月町、宿毛市、四万十市。ご存知でした?
四万十町は、その次くらい。
でも、乳量はというと、近年メガファームが育った高知市が一番多い。一軒で500頭以上飼育している酪農家さんが、いるので。
高知県に乳牛が導入されたのは、明治の中頃。高知城の北側、現在の県警本部付近に牛舎が建てられ、数頭の乳牛が飼育されていたのを嚆矢とします。かの、寺田寅彦さんの随筆にも、その牛舎の描写が出てくるので間違いない。
では、日本での近代酪農はと言いますと、近代ではなくて近世になりますが、江戸時代後期。8代将軍吉宗が、現在の千葉県の嶺岡牧に乳牛を導入、「嶺岡白牛酪」なるものの製造を始めたのが始まりとされちょります。それが、日本の近代酪農乳業につながってゆく。
では、地球上の人類が、酪農を始めたのはいつか。
人類が牛乳を飲用し始めたのは、今から5000年前のメソポタミアとされちょりますね。地球上で最初に都市が形成されていた頃だ。メソポタミアの人々は、牛の乳を搾って飲み、神に供していた。5000年の飲用経験が、人類にはある。それが、ミルク。医学的に見て、これほどの飲用経験がある食品も少なく、その長い長い年月の飲用で、安全性が検証されている訳だ。これほど安全が確認されている食品も少ない訳で、それを逆手にとって「牛乳は危ない」という意外性のある、しかしもっともらしい論文を掲載したトンデモ本が売れたりするんですな。意外性商法、と、ヒトは呼ぶ。
で、人類がヤギを家畜にしたのは9000年前と言います。もちろん、ヤギのミルクも飲んだ。
3月中旬には乾乳期が終わって製造が再開する弊社のヤギミルクですが、ヤギミルクは、人類にとって牛乳よりも飲用経験がずっと長い、ヒトにやさしい飲み物でありました。そうだったのか。
ところで。
今話題の本に、「サピエンス全史」というのがあります。ユヴァル・ノア・ハラリさんという知の巨人が書いた、本。なんか、デハラ・ユキノリみたいですが、違います。読んでみると、なかなか面白い。
ホモ・サピエンスが、アフリカを出てユーラシアに広がり始めるのが7万年前。その頃、何があったのか。それまでのホモ・サピエンスと何が違ったのか。それは、言葉を喋り、空想の言葉が操れるようになり、非常に多くのヒト同志でコミュニケーションが取れるようになった革命。それを「認知革命」と呼ぶ。
それにより、体力に優れたネアンデルタール人を駆逐し、巨大動物を駆逐しながら地球へ広がった、ホモ・サピエンス。
で、次に来るのが1万年前の「農業革命」。ですが、それは、人類にとって「罠」であった、という視点が実に面白い。「農業革命」は史上最大の詐欺であった、と。
家畜。
人間は小麦や稲を生産することによって、狩猟採集から農耕生活のなって豊かに幸せになった、という話は、嘘である、という話。
小麦の立場になって考えてみよう。1万年前には野生の草に過ぎなかった小麦が、数千年のうちに地球上に広まり、現在の小麦畑の面積は日本の6倍になるという。生物学的に見ると、大成功。これは、小麦が、自分に有利になるようにホモ・サピエンスを操った結果、そうなったと見るのであります。つまり、人類は、小麦の家畜として汗水垂らして働いてきた、と、見る。
なるほど。家畜か。
弊社は、家畜たる牛やヤギのおかげで成り立っていますが、僕たちは、お米の家畜として操られてきたのかも、知れない。