当たり前のことを高いレベルで〔5048〕2017/02/09
2017年2月9日(木)小雨
今朝は冷たい雨。
昨日。ある会合の記念講演で、元キリンビール副社長、田村潤さんのお話を聞きました。昨年、11月30日に聞いて以来、2度目。
田村さんは、1995年から2001年まで6年間高知支店長。アサヒビールにやられて、どん底状態だっらキリンビール。特に高知支店は、ラガーの味を変えたことに対する反発が強く、その減少率は全国一であったと言います。そんな時期に支店長として赴任した田村さん。
徹底してお客様を回り、声を聞き、そして本社に掛け合いながらお客様の為を第一義に行動する。当たり前のことを高いレベルで実行・継続する。その方法で、2001年、遂にトップシェアをアサヒビールから奪い返したのであります。まだ、全国ではキリンの苦戦が続いていた時期に。
で、2002年から2003年まで、四国の責任者になる。
そして。全国ではシェア低下が続くなか、四国だけが反転し、4県とも伸び率全国ベスト10入りを果たす。
2004年から2006年、東海地区の責任者になり、同じく成功を収め、2007年、本社営業本部長に。
そして2009年。とうとう、9年ぶりにアサヒビールから、シェアの首位を奪回する。
なんという実績。
高知で気づき、高知で実践したやり方を、粘り強く続けていっただけ、と言います。舞台が大きくなっても勝つための基本は変わらない。
とても勉強になりました。形だけ真似しても、失敗する。大切なことは、本気でやること。本気で、粘り強く、考え抜いて、行動し抜くこと。
いや、本当に勉強になりました。
東海本部を離任するとき、部下に、「3年間で同じことを1000回言われました」と言われたそう。「得意先すべてで勝て。ただし金は使うな。」それを1000回。
そのしつこさが、僕の真骨頂であるとも、おっしゃっておられました。
ところで。
高知支店長の最終年度が2001年。Jr.1号が小学校1年生か。その頃、娘さんがピアノ教室に通っておりまして、その発表会で、田村さんに会いました。田村さん、子供の頃ピアノを習っていたとのことで、その発表会の「大人になっても」というコーナーで、見事な演奏を聴かせてくれました。
昨日、その話を懐かしく語ってましたら、当時の心境を教えてくれました。
2001年、全国に先駆けてV字回復し、トップシェアを奪還。そこで、やっと気持ちに余裕がでてきて、ああやってピアノを弾いたりすることができるようになった、とのことでした。
そんな心境であったことは。全然存じ上げず、親しくお付合いさせて頂いていた訳でした。勉強になりました。
昨年11月30日の講演の翌朝も、潮江天満宮でした。なので、今朝も、潮江天満宮。朝4時半。雨の境内は静まりかえっています。
右上に白梅。その向こうでは飛龍梅が、間もなく満開になろうとしています。
馥郁たる梅の香り。