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隠れて見えない躄峠〔4681〕2016/02/08

隠れて見えない躄峠

2016年2月8日(月)晴れ!

一昨日の土曜日、国道32号線で香川方面へと出かける途中の、高知と徳島の県境にある「そば茶屋」のことを書きました。
その趣のある店内は、底冷えのする四国山中にあって、石油ファンヒーターの匂いと暖かい空気が心身を和ませてくれる。で、置いてある雑誌や本の中に、「阿波の峠 今昔」というのを発見しました。今から10年近く前に出版された、徳島県の各所にある峠を、写真とともに紹介したもの。なかなか優れた逸品。

で、早速調べてみたのが、躄峠。
そう。今年の1月12日、13日のにっこりでご紹介した、躄(いざり)峠。12日のにっこりには「あしなえ峠と間違った読みを紹介して、恥をかいちょります。
三嶺登山で、地蔵の頭とか、1812mの天狗塚とかのへ登る際に通る、高知と徳島の県境。躄峠。
なんで躄峠と呼ばれたのか。その謎が、この本で氷解したのであります。

その部分を抜粋。
「昔、巨人がこの峠を越えようとしたところ、あまりにも高いために頭が空につかえて越すことができないので、這いながら越えたという伝説からこの名がついたという(東祖谷山村誌)。」

なるほど。巨人が躄ったのか。あまりに高いので。なるほど。
その峠の高さは1780m。峠としての、つまり、人々が往来する道の峠としての高さは、四国一と、書いちょります。そりゃあそうでしょう。四国で一番高い山、石鎚山が1982mで、それより200m低いだけですきんね。その峠より高い峠は、ちょっと、無いかも知れません。

「高さが四国一でもあること峠は『終戦後、土佐の焼酎と祖谷のたばこをヤミ取引したルートであった』という話が残っているくらいで、同じ県境の京柱峠に比べて昔から往来は少なかったようだ。」

この話をしたのは久保の住人。久保は、高知から行くと、物部川を遡った奥の奥。久保から先は、もう、三嶺の山塊で、家は無い。
そこに暮らした人々は、終戦後も、その峠を越えて往来し、生計をたてていたのか。

ここに書かれちゅうのは戦後の話。では、明治の頃はどうだったのか。江戸時代は。
恐らく、結構な行き来があったのではないか。もちろん京柱峠ほどの往来はなかったにしても。久保には番所もあって、少なくとも公式の往還ルートではありました。

その躄峠からは「雄大な展望と高度感をもち、剣山から石鎚山まで四国の主な山々を見渡せるほか、瀬戸内の島々も望むことができる。」とのこと。
そう。太平洋は、見えんのだ。
そこで、確認のため、今朝は赤岡の漁港の南、堤防上に来てみました。ここは、高知では珍しく三嶺が望めるとっておきの場所。

右端が白髪山で、左に下ってきて、ピョコンと見えるピークがカヤハゲ、その左のゴツゴツした山が三嶺と思われます。今の時期にしては、それほど白くない。
その左側。
やはり、手前の山に隠れて見えませんね。手前の山の向こうには、西熊山、そして天狗塚とつながっちゅう筈。その天狗塚の向こうに、躄峠。四国一標高の高い峠。

ちなみに、躄峠の南東、大栃から徳島へと抜ける県境は四ツ足峠で、旧の山道の標高は1029m。西の、豊永から祖谷山へ抜ける国道439号線の京柱峠は1123m。
京柱峠は、弘法大師が土佐へと向かう途中、あまりに道が遠くて京へ上るくらい大変だった、ということから「京柱峠」になった、という言い伝え。躄峠はそれよりずっと大変だ。

今の季節、雪山経験の少ない小生でも、そこまでなら行けるかも知れない。厳寒期の躄峠。なんか、行ってみとうなりました。


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