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入り江の奥の条里制と郡頭神社〔4658〕2016/01/16

入り江の奥の条里制と郡頭神社

2016年1月16日(土)快晴!

良いお天気。寒い朝。とは言え、やはり氷点下にはなっちょりません。
ここは鴨部、郡頭神社さん。
俗には「ぐんとう」神社と呼ばれるようですが、正式には「こおりつ」神社と読むのが、正しい。大国主命を祀る、延喜式内社。いわゆる、鴨部の大黒様だ。

鴨部は、その名の通り、賀茂氏がこの地に多く住んだとされます。その歴史は古く、続日本紀などにもその証拠の記録が書かれちゅうそう。
そんな訳で、賀茂氏の祖神、大国主命を祀る郡頭神社は、高賀茂神社(現在の土佐神社)に次ぐ尊崇を受けた、大きな神社であった、と言います。

写真は、拝殿の前から南の方角を撮影したもの。拝殿は南面しちょりますので、拝殿とは反対方向。鳥居の向こうに烏帽子山のテレビ塔が見える。
この場所の標高は、地理院地図によりますれば8mちょっと。鏡川が山から運んできた土砂の堆積によって、この標高の土地ができあがっていったのでしょうか。

8mと言うことは、今の高知市中心部がまだ浦戸湾の底であった時代にも、もう、陸地であった訳だ。ここから北東へ、鏡川を渡った旭界隈の標高は6mくらい。ここも、有史以来、陸地だ。しかし、その東は、古代は海。

旭は、古く、土左国造の屋敷が置かれた場所、とも言われますし、鴨部は賀茂氏が多く住み着いて栄えた場所。古浦戸湾の西岸、静かな入り江の奥であったのかも知れません。

以前にも書いたように、旭、そして鴨部、神田界隈には、古代の条里制の痕跡がある、などと言います。その条理の角度は、あの烏帽子山と、北側の鴻ノ森を結ぶ直線を基本としてつくられちょったのではないか、などという説もあるそうですな。
静かな入り江の奥につくられた条里制の町。そこを支配するのは、中央からやって来た賀茂氏ゆかりの人々。そんな構図でしょうか。

ここから北西へ行くと朝倉神社。斉明天皇が百済救援の出兵の際にやって来て、崩御した朝倉宮は、そこである、という伝説もある、朝倉神社。

この界隈は、古い古い時代、飛鳥や難波、大和などと、意外なほどに関係が深かったのかも知れません。陸路では当然僻遠の地ですが、海路だと、室戸の難所はあっても、十分に多くの人々が往来できたでしょう。

今日は、実は、時間がない。もう、次の会合に出かけんといかん。そんな切羽詰まった状況の中で、ろくに調べもせず、朝、なんの気なしに撮影した写真を開いて、指のおもむくままに、書き連ねているのが、今日のにっこりなんですね。
高速流し書き。

今日はこんなテーマで書こう、ということをまったく決めず、指が動くままに書いたら、こんなになってしまった。そんな日もあります。
ほら。
なんとなく、字数が埋まってきたではありませんか。

古い古い時代の、静かな入り江の奥につくられた条里制の町に想いを馳せながら、今日はここまで。
それではまた、明日。


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