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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

桃太郎のおじいさんの仕事〔4601〕2015/11/20

桃太郎のおじいさんの仕事

2015年11月20日(金)晴れ

今日は、松山へ向かいよります。伊野から仁淀川沿いに北上し、旧吾北村の下八川から国道439号線、そして旧池川町から山へ入って、狭いクネクネの国道494号線。昔の松山街道。最近お気に入りのルート。
ところが。

途中、明戸岩という山腹の集落を過ぎたことろで、旗を振るおんちゃんに止められました。ああ。道路工事の時間規制だ。次に通れるのは40分後。ああ。
そんな訳で、今、その山中で、通行制限が解除されるのを待ちながら、このにっこりをのったりまったり書いております。電波は届かんので、アップするのは、後ほど。

さて。写真は、池川の集落。439号線沿いに流れる安居川へ、愛媛県境から流れてくる土居川が流れ込んでくるところ。土居川を遡上するのが旧松山街道。
つまり、池川の街は、交通の要衝として発展した訳だ。
この写真の河原に、たくさんのお百姓さんが集合し、伊予へ逃散したのが天明の逃散事件。天明の飢饉で百姓たちの生活が苦しくなったのが原因だが、もう一つ、紙の専売の問題もありました。自由売買が禁止されたんですね。

そう。藩政期も18世紀になると、それぞれの地域で、稲作以外の換金作物がつくられるようになったり、各所で紙を梳いたり、木綿を織ったり、ということが行われるようになりました。爆発的に膨張する人口を、稲作だけでは支えきれんなった時代。

今の人の感覚では、何故、不便な山深い土地にたくさんの人々が住んだのかは解りづらい。が、それはそれなりの理由がありました。つまり、山で生活する方が便利であった、という部分も大きいのであります。

こないだうちからの、近世の村の有り様についての元ネタは、岩波新書の、「村〜百姓たちの近世」という本なんですね。これは面白い。かなり目から鱗的なことも書いちゃありました。
で、ひとつ勉強になったこと。17世紀、日本中で新田が開発されていった開発の時代。その当時の、稲作、畑作の主たる肥料は、草肥であった、という事実。田畑面積よりもずっと広い、草芝確保用の山野を、村単位で所有、管理しておったのでありますね。「草山」「芝山」「柴山」「茅山」などなど。
当時の景観を写真に撮れば、山は、樹木の山ではなくで、草地の山や禿山のような山ばかりであった、ということになります。

そう。そんな草肥を手にいれる為には広い山が必要。なので、山で生活する、というのは、それなりに大きな意味があったのであります。

桃太郎の話で、冒頭、おじいさんは山へ芝刈りに行きます。
子供の頃、芝刈りとは、芝生の、伸びた草を刈ることでした。そんあ風景を、不思議に思いながらイメージしていた子供の頃。
長じてからは、おじいさんが出かけた芝刈りは、山へ燃料用の木々を取りに行くこと、という理解になりました。そう。山の樹々は燃料になるもの、という観念ですな。

しかし。
この「村」という本を読むと、どうやらそれだけではない、ということが解ってきたではありませんか。そう。おじいさんが出かけた「芝刈り」は、田畑で使う肥料、「草肥」を、山へ採りに行くことであったのかも知れない。
ああ。おじいさんの姿が、違って見えてきました。桃太郎のおじいさんは、山へ、農作業用の草肥を採りに行っていたのか。

さて。
爆発的に増加する人口を支えた農業生産も、18世紀になって頭打ちになります。
肥料用に草を採り尽くした山は禿山になり、いたるところで土砂災害をもたらす様になる。そこで草採りに制限が設けられたり、山に樹木が植えられたりするようになり、草肥が足らない、という事態になってしもうたと言います。全国的に。
そこで、その時代に捕獲や加工技術が進んで大量に利用されるようになった干鰯などが、肥料として利用されるようになる。もちろんお金で購入するので「金肥」と呼ばれる肥料。

そうなって来て、貧富の格差や地域間格差がどんどんと広がった時代が、18世紀。
貧しい村では、現金収入を得るために、紙を生産したりするようになった、という構図。ここ池川でも、紙は、村人の収入を支えるとても大切なものになったでしょう。
しかし天明期、財政再建を掲げる藩の政策で、紙を副業とする農家は、紙の専売化によって大打撃を受け、飢饉もあって、伊予への大量逃散が起きた、という風景が見えてきます。

18世紀は、社会構造が大きく変わっていった時代。
四国の山中では、現金収入を求めて産業が発生し、山ならではの焼畑が盛んになり、棚田の整備が進む。山は、都市周辺に比べて、圧倒的に住みにくい場所、ではなかった。
現在の山中の集落や畑を見ただけでは、想像もできない風景が、ついこないだまであった、ということに思いを巡らすようになりました。

さあ。そんな妄想を膨らませておりましうちに、間もなく、通行制限が解除だ。


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