南嶺、太平洋セメント越しに潮江を眺める〔4491〕2015/08/02
2015年8月2日(日)晴れ!
暑いうございます。今日は日曜日。
今日も猛暑になりそうなので、走るのは早朝にしちょきました。先週みたいに日中走りよったら、ちくと危ないので。
で、今朝は南嶺縦走20km。朝とは言え、結構こたやかされました。
家を出発して桟橋方面へ。で、宇津野トンネル北口のところから東へ。太平洋セメントさんの前を通って孕半島外周を走りますと、小さな鳥居があって、山に上がっていく山道があります。この山道をしばらく登ると、お宮さん。大海津見神社さん。そう。海上の安全を守ってくれる神様が、浦戸湾を見張らせたであろう山の中腹に鎮座ましましちょります。
今は、社殿の前の樹々が茂って海は見えませんが。
そこから更に登っていくと、尾根筋に出ます。
南嶺の東端。今日は、南嶺を東から西へと縦走してみることにししたのでありますね。
南嶺ハイキングコースでも、あまり登山客が通らない道。その尾根道は、太平洋セメントさんの南側を通ります。
写真は、その尾根から太平洋セメントさん越しに潮江方面を撮影したもの。このアングルの写真、ちょっと珍しいですよね。
正面に桟橋通り。広い真っ直ぐな電車道が、潮江を突っ切っちょります。その両脇にはビルや家が密集。かつて、ほんの数十年前まで、田んぼばかりであった潮江。
左手に筆山が見えます。潮江山。筆鉾山。あの山の先っぽに、塩を扱う店があったので塩屋崎。この潮江で製塩していた、そんな風景を想像してみましょう。
それよりも前の時代。菅原道眞の嫡男、菅原高視さんが左遷されてきた頃は、この眼前の風景、全部海でした。この左側に竹島という島が浮かぶ、海。
高視さんが住んだのは、この写真左端の潮江山の麓。国府があった現在の南国市とは、船で行き来しよったんでしょうかね。土佐権守、つまり土佐のNo.2として赴任しちょった高視さんが、国府とはこんなにも離れた場所に住んでおったのは、謎。
さて。
この尾根筋を走っておりまして、まず、小さな小さなヘビに遭遇。可愛らしいヘビでした。しばらく走っておりますと、こんどはハミ。おう!ハミだ。小さいハミでしたが、まぎれもなくニホンマムシ。写真を撮ったりしておったら、逃げていってしまいました。しかし、普通のヘビよりゆっくりしちょりますね〜。毒を持つハミには、普通のヘビのような俊敏性がなくても獲物を捕獲できるきながでしょうか。
実は小生、南嶺でハミに逢うたのは、初めて。おるとは聞いちょりましたが、実際に遭遇してみたら、ちょっとドキドキしました。普通のヘビや、毒蛇でもヤマカガシは割合兵器なんですが、ハミはね〜。ちょっとね〜。
ハミに遭遇してからもどんどんと西へ尾根を走り、宇津野山、鷲尾山、と縦走。鷲尾山から神田、吉野の方へ下ったのですが、途中、木を切ったりしゆうおんちゃんが数人。
で、どんどんと下っておりましたら、鎌を持ったりスコップを持ったりしちゅうおんちゃんおばちゃんが登ってくるではありませんか。中に、知人が居ました。聞いてみると、吉野の町内会の皆さん。今日は、町内会で、吉野から鷲尾山への登山道を整備するがやそうです。すごい。
そんな地元の皆さんのボランティアのおかげで、我々が快適に山をたつくれるのであります。いや、ホントに頭が下がる。本当に、ありがとうございます。
今日は吉野に下り、河ノ瀬、潮江を抜けて家へ。
どこがキツかったと言うて、吉野から家までのお日様がキツかった。そんな真夏の20kmラン。