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変わる風景、変わる生活文化、変わらない風景〔4247〕2014/12/01

変わる風景、変わる生活文化、変わらない風景

2014年12月1日(月)雨のち曇りのち晴れ

今日から12月。天気予報を見ますと、明日の朝から冷え込みそうです。12月に入ったら、突然冬になる、という感じ。そうか。もう師走か。
時が流れるのは、ホントに速いと感じてしまいます。こないだ、今年になったかと思いよったらはやから師走。もう来年。街からクリスマスソングが流れ始めちょります。

ここは今朝の高知空港の近く。この辺の風景も、今年になって圧倒的に変化しました。東部自動車道の工事が進み、空港の近くにインターができる為、そのアクセス道路の整備が進みゆうという訳です。今朝、行ってみますと、もう、こんな道の姿ができあがり、道路標示まで掲げられちょりました。もう、ここまでできちゅうのか。

その向こうに空港ビル。あのビルができたのは、高知空港がジェット化された時ですき1983年。昭和58年か。小生が東京の大学に通いゆう時分。記憶によりますれば、小生東京生活の最終盤になって、ジェット化されたと思います。それこそ、大学4年生の年末。高知へ帰省するのに、初めてジェット機で帰り、高知空港が巨大になっちゅうがにビックリしたことでした。それまではYS-11で、東京高知は2時間かかりよりました。
ついこないだの事のようですが、もう、あれから31年か。

それまでの高知空港は、バスターミナルに毛が生えたくらいの大きさでした。就航しちょったのはYS-11ばっかし。小生、物心ついて空港に飛行機を見に来た頃は、飛行機と言えばYS-11でした。飛行機=YS-11。ちょっと調べてみますと、YS-11が定期航空路線として高知空港に乗り入れたのが1965年。小生4歳。なるほど。YS-11しか記憶にない訳だ。まだ、高知空港と呼ばず、日章の飛行場と呼びよった時代。
因みに、日章の飛行場と大阪の間に定期航路が解説されたのは1954年。昭和29年。戦前は、浦戸湾にあった水上飛行機の基地から大阪へ定期便が飛びよったことは、以前にもご紹介しました。

こないだ読んだ宮本常一さんの本に、昭和36年8月に、高知から大阪まで飛行機で飛んだ話がでてきます。宮本常一さんと言えば歩く巨人というイメージが強いのですが、飛行機から鋭い観察もされちゅうのでありますね。
高知の平野には水田。その水田は、山裾から谷間を埋めておりました。しかし、その田んぼは谷奥で消える。そして、そこからずっと奥の山の上には、田んぼと隔絶した家々があります。そこには田んぼがない。畑。水田地帯と、山上の畑作地帯には、断絶がある。つながっていない。
それに気づいて、宮本先生は、現地を歩いて調べてみた訳ですね。で、田んぼを中心とした人々の暮らしと、山で暮らす人々の間には、かつて、ほとんど交流もなかったのではないか、との仮説を立てられちょります。山の暮らしと里の暮らし。里の暮らしの延長線上に山の暮らしがあったのではなく、完全に、山と里は別の暮らしをしておった、交流も少なかった、という風景を炙り出したのが、宮本常一先生でした。

今でも、高知〜大阪の飛行機に乗ると、山はしゅっとそこに見えます。当時はもっと低い高度を飛びよったでしょうき、山々の暮らしがもっと間近に見えたがかも知れません。
しかしその風景を見て、生活文化に思いを巡らすことができたのは、すごい。小生も、飛行機から山を眺めるのは好きで、地図上の風景と実際の飛行機からの風景を頭の中で照合したりしよりますが、今度から、社会とか文化とか暮らしとかの視点で、楽しんでみたいと思いよります。

空港周辺は劇的に風景が変化していきますが、山の奥の基本構造の風景は、それほど変わっちゃあせんと思います。生活文化は劇的に変わっちゅうでしょうが、空から見た風景は、そんなに変わってないのではないかと思われます。

変わる風景、変わらない風景。


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