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地蔵渡し〔4232〕2014/11/16

地蔵渡し

2014年11月16日(日)快晴!

良いお天気。昨日の夕刻の飛行機でモンて来ました。で、夜は飲み会。流石に、最後の方は居眠り状態になってしもうちょりました。早朝から騒動しよりましたですきんね〜、東京で。

で、今朝は少し遅めに出発して日曜日RUN。今日はですね、国分川河口へ出て、国分川沿いを遡上して岡豊へ。県立歴史民俗資料館を久々に楽しんじょいて、岡豊、国分を通って長岡へ。ながおか温泉がゴールで、15kmランでした。
岡豊山の東側、高知東道路の東側には、かつて、岡豊城の城下町があったと言います。以前にもご紹介したことがありますね。田んぼの中の道と、その両サイドに連なる同じような間口の田んぼ。その田んぼ道がメインストリートで、両脇に街が形成されちょったにかあらん、という話。その界隈のホノギ名にイチマチというのがあったと記憶します。市町。国分川の舟運を利用できる便利の良い場所に形成された都市。

そこから東へ国分川北岸の土手を行くと、お地蔵さんが鎮座ましまします。花崗岩でつくられた、立派な古いお地蔵さん。文化七年(1810年)の年号が刻まれた、由緒あるお地蔵さん。
そのお地蔵さんに前には、国分川の渡しがあったそうです。お地蔵さんのところの渡しなので、地蔵渡しと呼ばれました。
写真は、そのお地蔵さんを拝む小生。向こうに岡豊の山が見えます。この北西には国分寺。お遍路さんも利用した渡しでありました。
野市の28番札所、大日寺をお参りしたお遍路さん、戸板島の渡しで物部川を渡って西進。へんろ石饅頭のところを通って、この対岸へ。で、地蔵渡しを渡って、29番札所国分寺さん。

今日、上に書いた、岡豊の市町痕跡の田んぼ道をお遍路さんが歩きゆうがを見ました。そうか。今は田んぼの中の狭い未舗装路やと思いよったら、かつての市町のメインストリートは、ずうっと遍路道でもあり続けてきた訳だ。なるほど。城下町の痕跡は消え去ったと思いよりましたが、今も遍路道として機能しゆうことがわかって、ちょっと嬉しかったです。29番の国分寺さんをお参りして、30番の善楽寺さんへと向かう遍路道。

この写真の土手の北側には、マチ、マチガシラ、イチバ、ヒガシフルイチ、ニシフルイチというホノギ名が残り、土佐の国府がこの界隈にあった時代の賑わいを想像させてくれます。
長宗我部氏が本拠とした岡豊は、実は、地方豪族の本拠の立地としては、これ以上ないくらい恵まれた重要な場所であったのかも知れません。古代から栄えた町のすぐ近く。国分川の水運が使える交通の要衝。防御にすぐれた山。

その後、徐々に古浦戸湾の土砂堆積や干拓が進み、大高坂山の東側が城下町を形成できる環境になってくると、舟運の便利さ、形成される街部の拡張可能性などなどから、そちらの方が一国の首都としては相応しい、ということになってきて、元親も、本拠移転を決意したものと思われます。
こないだ、織田信長の本拠の変遷を書きましたが、戦国武将とは概ねそういうもので、その時その時で一番有利且つ合理的な場所を、ドライに選んでいくのが普通。

このお地蔵さんの界隈は、かつて、土佐の国の中心地として栄えました。地形、気候風土が変わり、政治経済の中心が昔は海であった古浦戸湾の方へと遷っていって、静かな、のどかな場所に。
かつて、古代の国府が置かれ、土佐の中心として賑わいを見せるようになる以前の、静かな、のどかな場所に戻ったのかも知れません。


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