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久次宇佐八幡宮さん、水争いの碑〔3645〕2013/04/08

久次宇佐八幡宮さん、水争いの碑

2013年4月8日(月)快晴!

昨日遅く、京都からモンて来ました。京都は夜になっても冷たい小雨が降り、冷やかったです。
で、京都では、昨日ご紹介したように、明治20年頃に、とてつもない工事を敢行して琵琶湖疎水が引かれました。それだけ、水というのは、大切なもの。それは今も変わりません。全国どこでも。
琵琶湖疎水と言えば、高知は甫喜ヶ峰疎水。吉野川水系の穴内川から、甫喜ヶ峰に長い長いトンネルを抜いて新改川に落としてくる、これも明治期につくられたすごい施設。何故、そんなすごい難工事を、水を通す為にやらんといかんかったのか。それは、それっぱあ、水が大事やったきに他なりません。

ここは、香美市久次。ひさつぎと読みます。新改川の近くの森に鎮座ましますのは、久次宇佐八幡宮さん。ここには、戦国期には在地土豪のお城があったと思われ、写真右奥の部分には、その砦の土塁が残ります。古い古い城の痕跡。ここも、最終的には長宗我部軍の配下に置かれることになったのは、言うまでもありません。その八幡様の境内。左手に立つ記念碑。これは、新改川水争いの碑。

元々、この新改川流域は水が不足する地域でした。こじゃんと。で、藩政期初期には新改川に堰を構築したり、その後には、上流にコロンボ堰を築いたり、明治の始めには古田池をつくったりと、色んな対策を講じてきたものの、元々流れてくる水量が少ないので、どうしても水争いになる。中でも、明治6年、7年の干ばつで勃発した水争いは、そうれはそれは熾烈。明治19年の、大審院の裁定にまで持ち込まれたほど。

で、以前にも書きましたが、藩政期初期に野中兼山さんが発想したとされる、吉野川水系穴内側からの通水を本気で考えることとなり、明治29年に掘削を開始。とにかく、人力で掘るがですき、大変。細く長いトンネルの中は酸素が不足するので、唐箕を並べて空気を送った、という有名な逸話も残ります。
ちなみに、昨日の琵琶湖疎水では、山の上から長い深い竪穴を掘ってトンネルの通気を行いよったようで、そんな図面も展示されちょりました。

この、八幡様境内の碑は、そんな甫喜ヶ峰疎水ができて、水が豊に流れるようになり、絶えなかった水争いに終止符が打たれたことを記念する碑。
水は、なによりも大切なものであることは、今も昔も変わりませんが、昔は、その深刻さは、そのまま人命に直結するほどのもので、こんな水争いは、あちこちで繰り広げられよりました。

先人の知恵と苦労と努力の末、豊かな農地が広がる長岡台地と香長平野。あちこちに残る、こういった記念碑を、じっくりと読んでみることも、今の我々にとって大切なことかも知れません。


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