野市、上岡山の戦争遺跡〔3564〕2013/01/17
2013年1月17日(木)晴れ!
昨日の高知新聞をお読みになりましたでしょうか。いつもいつも、毎朝のようにお邪魔しよります、香南市、野市の、上岡山の記事が載っちょりました。昨日の朝ももちろん行っちょりましたので、ビックリ。
昨年、その上岡山が、津波避難の山とされて、その山に登る避難路の整備が行われゆう、という話を書いたことがあります。最初は、地元の皆さん自ら作業をされての避難路づくりでした。それを、最近、キチンと予算を確保して、業者さんに頼んだらしく、本格的な工事が始まっちょりました。そして。
その工事の途中、上岡山の麓に高さ、幅が3m程度のトンネルが見つかったのでありました。新聞記事によりますれば、50mのトンネルと100mのトンネルがT字型につながっちゅう壕で、90cm間隔に杭を立てた跡も見られるとのこと。
これで想い出すのが、以前にもご紹介し、道路工事で取り壊されてしもうた向山戦争遺跡。あのトンネルも、同じようなつくりでした。
あのトンネル、あの山を米軍の上陸作戦に備えて地下要塞にしょうとしよった、その一部でありました。この上岡山のトンネルも、戦争末期に掘られた米軍迎撃施設であったことは間違いないでしょう。
今朝、まだ真っ暗い時間に、上岡八幡宮さんにお参りに行っちょったので、その際、真っ暗な山道を手探り足探りで進んで、なんとか、撮影してみました。肉眼ではなんのことやらわからん、真っ暗な状況でしたが、フラッシュを焚いて撮影したら、こんながが撮れました。山腹の、トンネル入り口。今度の日曜日に、現地説明会があるにかありませんが、所用で参加できんがが残念。
この上岡山、標高は30mちょっと。山の直径も100mちょっとくらいと思われますき、山全体を使うた、地下施設をつくろうとしよったがでしょうか。
戦略的に、この上岡山は、どう位置付けられるのか。
ここは、現高知空港、当時の、海軍航空隊の飛行場の近く。実際、グラマンを初めとする米軍機の攻撃が、飛行場を対象に、繰り返し行われました。
この壕は、ここを基地として、グラマンへの対空攻撃をする為のものやったがでしょうか。以前、ご紹介したように、この上岡山のしゅっと近くに、「被爆の碑」が建てられちょります。それは、この上岡地区を、米軍が攻撃目標とした証。飛行場に近い、というだけで攻撃目標になった訳ではなく、ここからグラマンに対する攻撃が行われたので、それを抑えるための空爆やった、ということが、今回のトンネルの出現でわかってきます。なるほど。
また、来るべき米軍上陸作戦の際には、この上岡山をミニ要塞化して、抵抗しょうと考えよったがかも知れません。
ともあれ、いつもいつもやって来る、この上岡山にも戦争遺跡があったという衝撃。ホントに驚きました。
以前、この山は古墳ではないか、と、書いたことがあります。物部氏ゆかりの。このトンネルは、山の麓、低い位置に掘られちょります。もっと高い地点、山の側面やてっぺんに近い場所はどうなっちゅうでしょうか。ひょっと、今次の避難路工事で、何か出てくるかも知れません。妄想を暴走させながら、期待しゆうとことです。
このトンネルは、避難路工事で埋められてしまいますが、トンネル自体は山の中に残ります。重要な戦争遺跡。
この山は上岡山で、神の丘。古来、信仰の対象として崇め奉られてきた山。その山を要塞化しょうとした海軍。戦争とは、恐ろしいものです。