民事部長アクセルソン中佐〔3429〕2012/09/04
2012年9月4日(火)晴れ!
夜のうち、またまた雨でしたが、今朝は晴れました。空気も涼しく、秋晴れ、といった風情。
昨日、物部川の、土電安芸線の橋について書きました。高知鉄道の、後免(現後免町)と手結の間が開通したがが大正13年。今は無いですが、国鉄(省線)の後免駅(省後免)と現在の後免町(後免)の間も、大正15年につながりました。そして、昭和5年、安芸と手結の間が開業して、安芸線全線が開通したのでありました。
経営母体は色々と変遷しましたが、昭和23年、土佐電気鉄道という社名になっちょります。しかし、当時はまだ、安芸線は電化されちょりませんでした。こないだのにっこりにも書きましたが、安芸線が電化されたがは昭和24年。
さて、現在の後免町駅の東側、土佐くろしお鉄道ごめん町駅との間に、このような碑が立っちゅうがをご存知でしょうか。なんとなく、あそこに大きな石が立っちゅうくらいには記憶がある方も多いと思います。
今朝、5時前に撮影してみました。上空には金星。向こうに土佐くろしお鉄道の駅が見えます。
この碑、読んでみると、とてつもなく興味深い内容。当時の世相や国際関係などがわかる、今となっては非常に貴重な資料。転載します。
安芸線電化開通記念碑
多年宿望せる安芸線電化工事は昭和二十三年十一月工を起し本年七月これを完成した 此の工事が斯くも急速に竣工したのは是れ全く高知民事部長アクセルソン中佐の懇切なるご援助の賜物にして沿線住民の福祉頗る多く 日米両国修好の上にも亦絶大の貢献を為したのは 吾々の最も欣快とする所である これに関係町村各学校生徒相謀り 先生の功績を刻して永遠に感謝感恩の誠意を表す
昭和二十四年十一月三十日 関係町村学校生徒建之
内閣総理大臣 吉田茂 書
当時は、GHQによる統治が行われよった時代。高知にも、ここにあるようにアクセルソン中佐が駐在して、民政にあたっておった訳です。安芸線電化で恩恵を被る、沿線の学校生徒の名で、アクセルソン中佐に感謝の意を捧げるために建てられた碑。そんな訳で、上部には英語が刻まれちゅうのでありました。
安芸線が電化された時代。今では想像もできんような、世の中でした。