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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

朝焼けの御在所山〔3373〕2012/07/10

朝焼けの御在所山

2012年7月10日(火)晴れ

今朝、夜明け前、南国バイパスから見た東の空が赤く染まり、それはそれは美しゅうございました。この界隈の田んぼは、もう、稲刈りが近いような稲穂が多い中、ここには珍しく、高知では超奥手の、田植え直後の田んぼがあります。その田の水も赤く染まって幻想的。

写真右端は三宝山。あのてっぺんのオブジェがランドマーク。三宝山は、どっから見てもしゅっと三宝山とわかります。
ランドマークになる特徴的な形をした山は、いくつかありますが、この写真の、左1/5くらいの所に見える、女性の乳房のような形をした山もそのひとつ。香美市の御在所山。
標高は1079mで、それほど高い山ではありませんが、古くからの信仰の山。物部川が流れる谷の北側に聳え、国道195号線を走りよりますと、かなり目立つ山。あの独特の形状が印象的。

御在所という名称は、天皇などの貴人が一定期間住んだ土地につけられる名称。全国、色んな場所に御在所はあります。あの御在所山も、もちろん、そんな伝説に彩られる山。
香美市と言えば平家落人伝説の色濃い土地。
土佐では、壇ノ浦で海に没したとされる清盛の孫、安徳天皇が実は密かに生き延び、土佐に落ちのびてきた、という話がかなり信じられちゅうのはご承知の通り。

横倉山には、宮内庁認定?の、安徳天皇陵参考地があったりします。
あの御在所山は、安徳天皇を奉じて落ちのびてきた平教盛さんが居を構えたとされます。てっぺんに大山祇神社が鎮座ましまし、大山祇神と平教盛、そして安徳天皇をお祀りしちゅうそうです。

平教盛と言えば清盛の弟。壇ノ浦で、安徳天皇が入水したのを見届けて、碇を背負うて入水したという伝説もあります。平家の武将には、遺骸を敵にさらすのを良しとせず、碇を身体にくくり付けて入水した者が多く、以前、下関へ行った際にもご紹介したことがあります。

ところが。

実はそう見せかけて壇ノ浦を脱出、安徳天皇を奉じて四国の山中へと逃げたのが平教盛。遺骸が発見されんがを不審に思われんよう、わざわざ碇を背負う演出をして、プリンセス天巧のように脱出した訳です。という伝説です。

平教盛は、六波羅の門の脇に邸があったので、門脇宰相と呼ばれました。安徳天皇が御在所山に滞在中、その門脇宰相、平教盛が亡くなって、墓所が御宰相の塚と呼ばれ、御宰相山と呼ばれ、御在所山になった、という説もあるそうです。

ともあれ、あの御在所山、太古の昔から霊山として尊崇されてきました。女人禁制の修験者の山であった、と、香美市のホームページには書かれちょります。

介良富士、朝峯神社の裏の石段を登った上の岩もそうですが、女人をイメージする神様の山には、女性は足を踏み入れてはならない、とされたケースが多いのは周知の事実。女性の神様は、女性を嫉妬するのである、という民俗学的宗教学的解釈が通説。


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