またまた三嶺、冒険した場所を眺める〔3322〕2012/05/20
2012年5月20日(日)薄曇り
と、いう訳で、今日は三嶺。こないだの5月4日、Jr.2号と一緒に登りよって、あまりの強風と雨で断念、途中で引き返してきてしもうたので、そのリベンジ。今日はJr.2号は居らず、ひっとりで行っちょりました。
こないだのルートと同じく、光石から登り始めて、さおりが原へ。巨木が林立する原生林で、さおりが原は、山の中で奇跡のように広うなっちゅう窪地。なんでも、昔、高知大学のワンダーフォーゲル部の部員さんが、当時流行っちょった南沙織さんの大ファンで、そこをさおりが原と呼んだがが、今では正式名称になっしゅうがやそうです。カマンもんですね。命名者の方は、まさかそれが後世にまで使われていくことになろうとは予想もしちょらんかったことでしょう。
さおりが原から、一気にカヤハゲという尾根の上まで登ります。今日は、どんなテーマで登ろうか考えたあげく、取り敢えず一生懸命駆け上ってみることにしました。ですきに、カヤハゲに到着した際には、こじゃんとフウフウゼエゼエ。汗びっしょりで、苦し心地良うございます。そこから、5月1日に、チャレンジャーS氏と一緒に冒険した所が見えましたので、撮影してみました。この写真。あの冒険は、今考えても無謀。人間、無茶しちゃあいけません。
右の山が三嶺のてっぺん。標高1893m。その左の方をご覧下さい。手のひらのような、山がはげたような部分があります。あそこが青ザレ。その左の、盛り上がっちゅうところの先端部分、あそこを、よじ登りました。こうやって見てみても、垂直みたいに見えます。今日確認してみましたが、標高差100m以上は登っちゅうにかありません。たどり着いたがが手のひらの甲の左。そこから、あの、手の甲の部分を右へと横断しました。青ザレは、夥しい礫岩がざらざらと崩れ落ちていきゆうところ。ちょっと間違うたら、礫岩と一緒に谷へと落ちていった可能性もありました。こうやって眺めると、あの体験が蘇って来て身体がカチバリます。
さて、今日は、こっからあのてっぺんまで登った訳ですが、丁度、県体で、県下の高校の登山部が、競技登山しよりました。高校の登山競技は、早さを競うものぢゃあのうて、計画やマナー、装備、技術、チームワークなどの総合力を競うものやそうです。三嶺のてっぺんで全員が休憩しゆうところにひまわり太郎も到着。ひまわり太郎の母校のチームも居りまして、顔見知りの先生が引率で来ちょりました。いやいや、こんなところでお遇いするとは。
県体ですが、なかなか和気あいあいと、過ごしよりました。
ところで光石から山頂までのひまわり太郎のタイムは2時間15分。通常の、このコースのタイムは4時間となっちょりますき、かなり頑張りました。途中、これを含め、色んな写真を撮りながらですき、かなり頑張りました。今度は2時間を目標にしたいところ。
さて、下りです。
ひまわり太郎は、山頂から、5月1日に登るはずやった、つまり、冒険をせんかったら通ったはずのルートを下りました。98豪雨による土石流の谷を下り、フスベヨリ谷へ。で、そこの案内表示で、さおりが原へ行けるという道があったので、そっちへ行ってみることにしました。すると。
う〜ん、そっちは登りではありませんか。せっかくかなり下ってきちょったのに、またまた結構登りました。三嶺へ登るときに通るルートながでしょうな、こりゃ。まあ、色んな道が通れて良かったです。原生林の残る三嶺は、どの道を行ってもそれはそれは幻想的で美しゅうございました。
さおりが原のちょっと上の分岐へたどりつくと、そこには、さっき頂上で遇うた、高校登山部とその引率者と審判の集団が休憩中。また上がってきてしまいました、と挨拶して、あきれられたのでありました。
さおりが原に下り、そっから、西熊林道という表示の方へ行ってみました。その林道から、光石の登山口まで戻れるというがを地図で確認しちょったきですね。
で、ちょっと歩いて林道まで出ました。林道は、岩をくり抜いたトンネルで、光石の方へ行けるようになっちゅうがですが、トンネルは、落盤の危険があるということで通行止め。迂回路は、またまたまたまたかなりの急な坂を登って登っていく道でございまして、運動になりました。まっこと運動になりました。
登りは2時間15分やったがですが、そんな訳で、下りは3時間以上かかってしもうたのでありました。下りも結構走ったがですけんどね。下りの方がエラかったです。
ともあれ、三嶺、かなりわかってきました。高知県側から登るとすれば、あとは、白髪山からのルートを残すのみ。もうちょっとで、コメツツジも咲き始め、こじゃんと美しい季節を迎える三嶺。これからしばらくマイブーム。