葛島の命山から1本になった鉄塔を眺める〔3319〕2012/05/17
2012年5月17日(木)薄曇り
今日は高知。
こないだの日曜日、五台山の鉄塔撤去のことを書きました。あの写真では、RKCの旧テレビ塔、半分取り壊されちゅう状態でしたが、今はもうすっかり取り壊されてしまいました。そして五台山のてっぺんに見える鉄塔は1本になってしまいました。今後は、この風景が当たり前になっていくがでしょうね。今迄、2本の鉄塔があるがが当たり前の風景やったように。
今朝は、その、1本になった鉄塔を、葛島山の上から眺めてみました。高知市の、知寄町の東、葛島橋東詰にある小山、葛島山。
もちろん、この小山は、中世の頃まで、浦戸湾に浮かぶ島「葛島」でございました。ですきに、この周辺は海抜が低く、南海地震の津波で圧倒的に浸水してしまうエリア。
この山、標高はどれっぱあでしょうか。国土地理院の地図には、標高、書いちゃありませんでした。たぶん20mちょっと。そう。空港滑走路にあった命山や、夜須の命山「観音山」よりちょっと小さめ。
元々この山頂には樹高8mくらいの老杉が屹立し、地元では「杉様」と慕われ、根元に小さい祠が祀られちょったそうです。昭和21年12月21日の、昭和の南海地震で、津波が高知を襲うた際、地元の皆さんはこの山へ逃げ、難を逃れたそうです。ですき、此の山も、まぎれもなく「命山」。が、この山、全然違う場所に住む方の個人の所有でした。
この界隈は、地盤が低い上に地震で沈下することが予想され、大津波がやってくると、しばらく水が引かんことがわかっちょります。宝永の南海地震津波後、家の軒まできた海水が何ヶ月も引かんかったことが、谷稜記を読むとわかります。海水に浸かるということは、飲料水にも困るということ。
昭和南海地震の際、周辺の井戸水が塩水になってしまい、この葛島の3〜4つの井戸のみ、真水が出たそうです。そんな意味でも「命山」やった訳です。
以前にも書きましたが、そんなことがあって、昭和南海地震後、地元の有志79名が個人所有であったこの山を共同で購入、地域のための山としたのでありました。で、杉様の所に玉垣、鳥居、祠をつくり、大山祇神社として崇敬するようになった訳です。
地域の想いがこめられた山、葛島山。
ここにも命山がありました。