岡豊城二ノ丸から市町を眺める〔2950〕2011/05/14
2011年5月14日(土)晴れ!
今日も心地よく晴れました。黄砂でしょうか、山の方は霞んで見えます。
ここは南国市の岡豊。長宗我部氏の本拠、岡豊山からの眺めです。こないだうちからご紹介しよりますが、この、岡豊城のあった山頂に、今年一年限りの望櫓が仮設されちゅうがです。ここで国親元親の親子が何を考え、何を想像したのか、見事に体感できますきに、まだ行ってない方はぜひぜひ登ってみてください。
その天守のあった詰の段の東側に二ノ段があります。その東端から、東方向を撮影してみたががこの写真。向こうから国分川が蛇行して流れてきよります。
こないだ、4月18日のにっこりでご紹介した「市町」の痕跡が、こっからはキレイに見えるがです。写真中央ちょっと下の田んぼをご覧下さい。斜めにまっすぐ田んぼ道が走り、その両脇に細長い細長い田んぼが並んじゅうがが判りますでしょうか。この斜めの田んぼ道が、今から四百数十年前、岡豊城の城下町、商業ゾーンのメインストリートやったがにかありません。その道を挟んで、間口が狭く細長い家々が並んじょったらしいです。で、市町と呼ばれました。
左端に見える森が国分寺で、その右手界隈が、奈良平安の時代の土佐の中心地。その周辺にあった商業ゾーンは、古市町と呼ばれるようになり、長宗我部氏の勢力が強くなってこちら側が栄えてくると、こちらが新市町になった訳です。
こないだも書きましたが、1588年、元親さんが現高知城の大高坂山に本拠を移す際、その市町をその近くにそっくりそのまま、移設したので、今の新堀小学校の西門界隈は今でも新市町と呼ぶのであります。
この岡豊の山で国親さんや元親さんが眺めた景色では、あの田んぼにところに市町が形成され、国分川で運ばれてくる物資が荷揚げされ、庶民の活気が溢れちょったことでしょう。そんな風景をここで想像してみるがも楽しいことです。