想像を超える〔2888〕2011/03/13
2011年3月13日(日)晴れ
お見舞い申し上げます、などという言葉を軽々しく申し上げてよろしいかどうか、迷うてしまうような被害が明らかになってきました。心がズキズキ痛みます。これほどまでの凄まじさを、誰も予想できていなかったのが、大自然のすごさ、恐ろしさです。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮。写真右端に、細長い石柱が立っちょります。地元の嶋内武金さんという方が、明治になってから建立した、安政の南海地震で津波がここまでやってきたことが刻まれてます。安政大地震として有名ですが、土佐を襲うた南海地震は、正確には安政に改元される前の嘉永7年11月に発生しました。
裏面には「嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、人いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記」と刻まれ、ここまで津波がやってきたことがわかります。
この正面をまっすぐ行くと、両脇に鳥居の柱の痕跡が残されちょります。たぶん、嘉永4年頃に建てられたもの。津波は、この、神社より3mくらい低いこの下まで流れ込んできたので、あの鳥居も、ひょっとしたら津波で壊れてしもうたがかも知れません。少なくとも、次回の南海地震では、ここまでは、あの地獄のような津波が押し寄せてくる事は覚悟せんといかんがです。
しかし。
今次の大被害を見てもわかるとおり、大自然は、以前はここまでやったのでそれ以上の被害は出ない、などという約束は決してしてくれません。何が起こっても不思議ではないこの世界。想定出来る限りのことは想定し、出来うる限りの対策を施して、そしてイザとなったら何を置いても逃げる。それしかない、ということがわかります。先人の教えを無駄にせず、そして、それ以上の想定をして対処する。今次の地獄絵図がわたしたちに教えてくれています。