嶋内武金建之しまのうちたけかねこれをたつる〔2639〕2010/07/07
2010年7月7日(水)曇りのち晴れ
今日は七夕さま。晴れたらエイですね。あちこちに七夕飾りがされちょりまして、夏の気分が盛り上がります。今日は高知へモンちゅうひまわり太郎です。
こないだうちから、幕末に土佐で活躍した学者さん、徳永千規さんのお話をしよります。赤岡の飛鳥神社に建てられちゅう、安政の大地震の詳細を未来へ伝える碑文は、徳永さんの手によるもの。土佐の国中に、あのような、災害を後世に伝え、戒めと備えにするオブジェが残されちょります。どこにどんなものがあるか、整理してみたらエイですにね。必ずやってくる次回の南海大地震に、どんな心構えで臨んだら良いがか、きっとそれは教えてくれます。
ここは香南市、野市の上岡八幡宮の参道入り口。今までに7回くらいご紹介したことのある、安政大地震で津波がこの西の河原まで遡上してきたことを伝える碑。たくさんのヒトも家も流失し、大被害がでたことが生々しく刻まれちょります。
この碑が建てられたがは明治13年。地震からすでに23年が経過しちょった訳ですが、まだ、その記憶をはっきりと脳裡に刻んじゅう方が多かったでしょう。これを建てたと刻まれちゅう嶋内武金さんもたぶんその一人。しかし、23年経過して、その甚大な被害を知らない世代が増え、忘れ去られていきゆうことに危機感を感じた武金さんが、私費を投じて建てたことが推察できます。災害は忘れた頃にやってくるのであります。
ところで話は変わりますが、この碑には「嶋内武金建之」と刻まれちょります。こんな記念碑とか墓石とかによく刻まれちゅう「建之」、これ、何と読みよります?皆さん。これ、元々漢文の読み下しですきに、「これをたつ」とか「これをたつる」とか読むががどうやら正解みたいです。「けんし」と読んだりする方もおいでますが、そうなると新語になります。石材屋さんに以前聞いたときには「けんこれ」と読む、と、堂々と言われましたが、これはかなり少数派みたいです。
「しまのうちたけかね これをたつる」の碑に、我々への戒めが刻まれちゅう訳です。