石手寺と衛門三郎となんごく号〔2467〕2010/01/16
2010年1月16日(土)松山は晴れぞなもし
てな訳で今朝は松山。昨日は道後温泉のビジネスホテルに泊まっちょりましたが、なかなかエイですね。安いですしお風呂は温泉ですし、しゅっと近くに有名な道後温泉本館がありますし。で、市内とか駅とかえも、伊予鉄の路面電車でつながっちょりますので交通も便利。
今朝は、夜明け前から温泉街の近くの石段を駆け上り、伊佐爾波(いさにわ)神社をお参りました。由緒ある延喜式内社で、八幡様と同じご祭神を祀っちょります。神社の脇から山手方面に道がつながっちゅうので、今朝はそちらへ。
山の中の小さい道路で、夜明け前ですきに真っ暗。急坂を上り下りすると、道路脇に突然仏像みたいなオブジェが現れたりしますきに、こぢゃんとビックリします。真っ暗で静かな山の中で、不思議な像が突然出現するがはなかなかのモンですな。
その道を走って下っていくと、石手寺の裏へ出ました。今走ってきたエリア方面には「風土記の丘」という案内板が立っちょりました。なるほど。
写真は、表の道路から眺めた石手寺の入り口。四国霊場51番札所の石手寺は、道後温泉から近いこともあって、早朝から何人か参拝されよりました。
石手寺で思い出すのは高知松山間の国鉄バス。途中からJRバスになりまして、その名も「なんごく号」やったですよね。国道33号線を高知から走ってくるバスで、久万で休憩した後、三坂峠を越えて松山へ下りはじめた頃に、松山の石手寺の案内が流れました。覚えちょりますか?
内容ははっきり覚えちゃあせんですが、その中で出てきた衛門三郎という名前は耳の底に残っちょります。調べてみますれば、昔、伊豫の衛門三郎という長者が門前にやってきたこ汚い托鉢の僧をないがしろにし、托鉢を取り上げて投げつけた、という場面から始まるお話。実はその托鉢僧は弘法大師。その後衛門三郎の8人の男の子が相次いで亡くなったので衛門三郎は後悔し、家を捨てて四国巡礼にでました。21回目の巡礼の際に病気になって起き上がれなくなったときに枕元に弘法大師が現れ、「衛門三郎」と刻んだ石を三郎に握らせ、積みが許されたこと、そして松山の河野一族に生まれ変わることを告げたので、安心して三郎は息を引き取ったそうです。その後河野家に生まれた後継の子が、生まれてずうっと手を開かんかったので、安養寺で祈ってもろうたら、手が開いて「衛門三郎」と刻んだ石がでてきたとか。
それで、安養寺は石手寺になったそうですね。むかしまっこうさるまっこう。