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早朝の潮江天満宮で、2つの謎を考える〔2436〕2009/12/16

早朝の潮江天満宮で、2つの謎を考える

2009年12月16日(水)曇っちょります

今朝は久し振りに潮江天満宮。今年の行事もほとんどが済んで、あとは年越しを待つばかりの潮江天満宮。もちろん、初詣客の数は県下第一位のお宮さんですきに、その準備も大変でしょう。今朝はこのように静かなたたずまい。拝殿から左側へ回り込むと、このように境内社が4社並んじょります。左端に、この写真には写ってない島崎神社。写真手前の鳥居のあるお宮さんが早良宮、その右隣が若栄社で、その向こうが白太夫社。その向こうが天満宮の拝殿、本殿。

潮江天満宮は、ビッシリ書きゆう通り、菅原道真公が903年に左遷先の太宰府で失意のうちに亡くなった際、忠臣の渡会春彦さん(白太夫さん)が道真公遺品の剣と鏡を携えて、道真公嫡男高視さんが左遷されちょった土佐へとやって来たことに始まるそうです。白太夫さんは、大津の港の前、雲門寺までやって来て急逝され、道真公の遺品のみ届けられました。その遺品をお祀りしたがに始まるとされるのが潮江天満宮。

最初は、もっと東、今の真如寺がある場所にあったそうで、山内氏が土佐藩主になり、真如寺を建立した際に現在地に移ったそうです。元々、竜神様がお祀りしちゃあった場所に、天満宮をつくったとの話もありますが、現在、真如寺と天満宮の境界の辺りにある池と竜神様が、そうながかも知れません。いや、真如寺をつくる際に竜神様もここへ移したがかも知れません。

ひまわり太郎が感じる謎は2つ。

1つ目は、現在の本殿の西側、小山の上にある磐座(いわくら)。この磐座も、歴史が古そうです。ひょっと、天満宮創建とは関係無いがでしょうか。2つ目は、土佐権守の高視さんが、当時は浦戸湾沿いやった、潮江山の東麓に、何故住んじょったのか。国府は今の南国市国分にあった訳で、出勤するがやったら、舟で浦戸湾を横断、大津で上陸して、かなりの距離を歩かんといけません。で、白太夫さんは、ひとまず大津へ上陸、こちらの潮江へやって来る舟を待ちゆう間に亡くなった、ということが妄想されます。もし、高視さんが大津か国府近くに住みよったら、白太夫さんは直接高視さんに遺品を手渡すことができたかも知れません。左遷やったもんで、政治行政には興味がなく、役所から離れた風光明媚な潮江山麓でのったりまったりしよったがでしょうか。まあ、そのお陰でここに潮江天満宮ができた訳ですが。


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