筆山のえぐれは土取り場〔2350〕2009/09/21
2009年9月21日(月)快晴!
今日も良いお天気。連休のど真ん中、敬老の日。皆さん敬老してますか?
ここは潮江。今朝は久々に潮江天満宮をお参りして、筆山の麓を東へとまわってみました。で、塩屋崎のちょっと東の筆山を見上げてみた写真がこれ。
この界隈の筆山、このようにガイにえぐれちゅうがをご存じですよね。市街地の方から筆山を眺めると、左の方がこんなにえぐれちょります。ひまわり太郎、子供の時分からこのえぐれた筆山をずうっと眺めてきました。
標高100mちょっとの筆山の、頂上に近い高さから麓までグッスリとえぐれちゅう不思議。崖崩れか何かのよう。皆さんも不思議に思うてきましたよね?
で、今朝はあらためてこのえぐれを撮影、真相に迫ってみたのでありました。
この近く、潮江天満宮の参道近くに、ひまわり太郎の土佐の歴史の師匠、谷是先生が住んじょります。そこで、携帯に電話して訊いてみたところ、実にあっさりと、四十数年の謎が氷解しました。ここは明治から大正昭和初期にかけての土取り場やったそうです。潮江地区は、藩政期から、一面の田んぼでした。で、明治からこっちになって開発され、工場や学校が建ち、住宅も建ち並ぶようになりました。田んぼに建物を建てたり運動場をつくったりするには大量の土が必要。そこで。
潮江地区の田んぼの埋めたてに、この筆山の土が利用されることになったがやそうです。それにしてもえぐったもんですな。
このしゅっと近くに潮江中学校がありますが、その場所に、大正15年、高知県女子師範学校ができました。その運動場とかも、この筆山の土でできちゅうとか。
この麓は、その昔は山根とか三軒家とか呼ばれよったことも教えて頂きました。塩屋崎に塩屋があり、山根を通って塩を運びよったとか、この辺には家が三軒あっただけやったとかで、そんな地名がついたそうですな。
それにしてもこの筆山のえぐれの謎が解明されて、こぢゃんとこぢゃんとスッキリした敬老の日です。