安並の水車、紫陽花、野中兼山さん〔1886〕2008/06/14
2008年6月14日(土)中村は晴れちょう
昨日の午後から中村へ来ちょります。四万十市中村。ひまわり乳業中村工場のある中村。で、中村に泊まったらお約束は四万十川ラン。今朝も、市内のホテルを出て、四万十川赤鉄橋を渡り、右岸を佐田の沈下橋までのったりまったり走りました。こぢゃんと心地よい、大自然満喫の四万十川ランは、中村出張の一番の楽しみ。佐田の沈下橋界隈は、昨年くらいから、観光屋形船みたいながが突然増えてきましたです。四万十川観光は、やっぱし人気衰えず、ですな。
佐田の沈下橋から左岸を市内へ走りよりまして、途中で、安並の水車界隈が、今、紫陽花満開でこぢゃんとキレイらしい、ということを思い出しました。
そこで、東へルート変更し、後川沿いの堤防を走って安並へ。橋が少ないので、エラい遠まわりをしてしまいましたが、美しゅうございました、安並の水車。
この水路は、藩政期初期に名執政野中兼山さんが開鑿した灌漑用水で、この周辺の4つの村を貫通させて広大な農地を開いた、ということで「四ヶ村溝」と呼ばれよったそうです。この農業用水沿いに、紫陽花をたくさん植えちょりまして、今が一番の見頃。朝もとうから、観光に来ちゅう方もいらっしゃいました。
ところで、こないだ6月3日のにっこりにも書きましたが、高知県内のあじさい名所と言われる所は、野中兼山さんに関係をある場所が多いようです。これに気付いたがは私、ひまわり太郎が最初ぢゃあないでしょうか。ここ四ヶ村溝もそうですし、最近有名になってきた野市、父養寺の物部川土手1.2km、18000株の紫陽花も、土手の東側の水路は野中兼山さんによるもの。高知で一番有名な春野のあじさい街道の水路も、野中兼山さんが灌漑のために開鑿した新川川に関連する農業用水。
野中兼山ーあじさい街道関連説を、ちくと研究してみろうかと思いよります。いや、単に、水量の多い水路脇に紫陽花が咲いちょったらキレイなので、皆さんが植えただけのことながでしょう。が、高知県内の農業用水のルーツを探ると、ほとんどが野中兼山さんに行き着く、というがも事実ながでしょう。