桂浜、勝浦浜、飛島の勝浦〔1864〕2008/05/23
2008年5月23日(金)浦戸も桂浜も晴れ!
高知県の観光名所と言えば桂浜。龍馬像があるがでも有名な月の名所ですね。で、藩政期の伊能忠敬さんが作成した地図には、浦戸の横に「勝浦浜」と記載されちょって、それが、幕末の頃に、月の名所ということで桂浜になった、という話を聞いたことがありました。江戸時代以前は勝浦浜と呼ばれよったりしたがやねや、と、何とはなしに思いよった訳です。ところが!
こないだうち、桂浜から浦戸の旧道の方を車で走りよったら、「勝浦浜」という文字が目に飛び込んできたのであります。ちくとビックリ。浦戸の漁協の東、稲荷大明神の小山のしゅっと横に、古い門柱が立っちょりまして、ご覧の通り「勝浦浜排水機場」と書かれちゅうではありませんか。
で、今日、前まで行って写真を撮ってきました。
この排水機場が、いつ頃作られたがか、今も稼働しゆうのかは不明ですけんど、江戸時代まで遡らいでも、勝浦浜という名称が使われよったことがわかります。う~ん、大発見。ここから桂浜までは約400m。しゅっとですね。そうしますと、幕末の頃、勝浦浜という名称の方がひょっとしたら一般的やったがかも知れません。もしかしたら。すると、龍馬が太平洋を眺めよったがは桂浜ぢゃ無うて勝浦浜やったがでしょうか。妄想が暴走を始めます。
この勝浦という地名、徳島にも和歌山にも千葉にもありますね、昔聴いた話では、黒潮に乗って仕事をする漁師さんが移り住み、住み着いた場所に元の勝浦という地名をつけたので、色んな場所に勝浦があるようになった、という説もあるとか。ですきに、同じ黒潮文化圏の土佐に勝浦があるがも当然と言えば当然。
ところがところが、ちょっとした機会があって山形県の沖合40kmにある飛島という島のホームページを見よりましたら、その島にも勝浦という地区があるではありませんか。もちろん黒潮文化圏ぢゃあございませんきに、土佐や紀伊や阿波や安房の勝浦とは全然関係ないがかも知れません。が、この飛島にも、サハチという大皿料理でもてなす風習があったそうですきに、今でも皿鉢料理全盛の土佐と、妙に共通点があるがが不思議不思議。海を行き来しよった人たちは、距離は関係なくいろんなところで繋がっちょったがかも知れませんですね。