高知駅の駅舎〔1749〕2008/01/29
2008年1月29日(火)曇っちょります
朝方、ちくと降りよりましたが、その後は曇りの高知市内。昨日まではこぢゃんと冷やかったがですけんど、今日はぬくかったです。
昨日の夜、須崎で、須崎市酪農組合さんの新年会にお呼ばれしちょりまして、汽車に乗って行っちょりました。昨夜の雨は冷やかったです。須崎市の大間という駅からしゅっとの居酒屋での新年会。行きしなは、高知市内から家路を急ぐ汽車通(きしゃつう)の高校生たちがどっしこ乗っちょりました。高知では、JRに乗って学校に通う人たちのことを「きしゃつう」と呼びます。汽車で通学するきですね。
帰りは、静かなワンマン列車でのんびりと帰ってきました。無人駅の大間駅で待ちゆう時間がシビコオリましたですね。一両編成で、「列」にもなってないですけんど「列車」と呼ぶがでしょうか。謎です。
ここは今日の高知駅。この駅舎の営業期間も、あと1ヶ月を切りました。2月26日から、向こうのドームの駅舎で営業が始まります。高架になった新生高知駅のスタートです。
この、もうすぐ役目を終える鉄筋コンクリートの駅舎は、昭和45年に完成したもの。ひまわり太郎が小学生の頃。あれから38年が経過するがですね。その前は木造の、なかなか雰囲気のある駅舎でした。蒸気機関車は、その直前の頃まで走りよったですね、たしか。
土讃線はトンネルだらけ。ひまわり太郎は記憶にないがですが、ちょっと上の世代の皆さんは、土讃線を蒸気機関車で走ることの大変さを知っちょります。トンネルに入ると、煤煙が窓から入ってくるので、窓を閉めんといけません。それでも顔が真っ黒うなりよったそうですね。真夏に、窓を全部閉めて走らんといかんので、それはそれは暑かったそうです。
土讃線は四国山脈を縫うようにして走る為、ホントにトンネルだらけ。トンネルぢゃあない所が少ないくらい。それでかどうか知りませんが、蒸気機関車からヂーゼル機関車に切り替わったがは全国的にも早かったらしいです。
この駅舎ができた昭和40年には、もう、四国からは蒸気機関車は姿を消しちょりました。