高知市春野町〔1722〕2008/01/02
2008年1月2日(水)今日も快晴!
昨日の元旦、お正月早々、なかなか縁起が良いことがあったのであります。初日の出を拝み、若宮八幡宮をお参りして帰って来た後、元旦名物の実業団ニューイヤー駅伝をテレビで見よりました。お正月と言えば駅伝、というががニッポンの文化として定着してきましたですね。
で、その駅伝放送の合間に、テレビ高知のローカルニュースが。ニュースでは、桂浜の初日の出の話題をやりよりました。で、家族で、「こりゃあどっかに写っちゅうかも知れんねえ」と話しながら見よったら、突然、私ひまわり太郎がデジカメで日の出を撮影しゆう横顔がドアップに写ったではありませんか。
いや、ビックリしました。毛糸の帽子をかぶり、防寒着を着いちょったので、ちくと判りづらい感じやったですが、まぎれもなくひまわり太郎。昨日のにっこりの、あの写真を撮影しゆうその姿が、高知県下に放送されたのでありました。こいつぁ春から縁起がエイわい、という事件でございました。
さて、今日は、携帯ラジオで箱根駅伝を聴きながら、市内南部をたつくってきました。実はですね、高知市の南に位置する吾川郡春野町が、昨日の元旦から高知市に編入合併されたがです。住居表示は高知市春野町。そこで、今日、Jr.2号の自転車と一緒にたつくりに行っちょったのは高知市春野町。横浜を出発して長浜まで南下、長宗我部元親さん初陣の戸の本古戦場跡を左手に見ながら新川川(しんかわがわ)沿いに西進すると、「唐音の切抜」という所に出ます。以前にもご紹介しましたが、藩政期初期の名執政野中兼山さんが、仁淀川に堰をつくって現在の高知市春野町の平野に灌漑用水を通し、浦戸湾までつないで物資の輸送、農業発展に大きな貢献をしました。1648年から5年かかっちゅうがですが、難工事は、昨年12月8日にご紹介した行当(ゆきとう)の切抜と、ここ唐音の切抜。山を切り抜いて水路を通した訳で、この写真は、唐音の切り抜きに現在設置されちゅう水門の上から「高知市春野町」方面を撮影したもの。ここから西が、一昨日まで春野町やった訳ですね。新しい年、新しく高知市になった場所をご紹介しました。