鮫洲、旧土佐藩下屋敷跡と山内容堂さん〔1393〕2007/02/07
2007年2月7日(水)東京の朝は晴れてるからさ
今朝は東京。と、申しましても、今は高知へモンて来て、空港連絡バスの中でこのにっこりを書きよります。
昨夜泊まっちょったのは品川駅前。あの界隈も、きれいで大きなビルがいっぱいできてお洒落な街になってきちょりますね。あの品川が。
で、今朝は早朝から国道15号線、いわゆる第一京浜国道を南へ走りに行っちょりました。お正月の箱根駅伝で通るコースで、最終区間のクライマックスでよく紹介される新八ツ山橋も、箱根駅伝の選手になった気分で走ってきました。
ここは大井公園。京浜急行の鮫洲駅北側にある丘が、この公園になっちょります。ここは、藩政期、土佐藩の下屋敷があった所。昔は「土佐山」と呼ばれよった丘。
江戸時代、江戸には、土佐藩の上屋敷、中屋敷、下屋敷がありました。上屋敷は今の東京駅のそば、前の都庁のあった辺りにあり、中屋敷は現在の中央区役所の場所にあったそうです。幕末、大政奉還の建白を徳川慶喜さんに出したりして大活躍した土佐藩15代藩主山内豊信(容堂さん)は、この下屋敷を活動の拠点にしちょりました。お酒が大好きで、自ら「鯨海酔候」と号しちょった容堂さんは、幕末の偉人の一人です。
山内家の墓所は、何度もご紹介したとおり高知市の筆山にあります。が、容堂さんの墓所は、ここ鮫洲の旧下屋敷の敷地内につくられました。容堂さんの強い意向があったそうです。
今はご覧のような公園になっちょりまして、その一角に墓所がありました。当然ですが、墓所へは一般の人は入いれんなっちょりました。品川区の史跡に指定されちょります。
この丘に、「旧土佐藩下屋敷」やったことを紹介する看板をよう見つけませんでした。しゅっと東隣に旧越前鯖江藩間部家下屋敷跡がありまして、そこにはキチンと説明看板がありました。土佐藩の方にも欲しいところですな。
ここから第一京浜を引き返し、梅が馥郁と香る品川神社にお参りして、品川駅前にモンてきました。