中の島、丸山台、此君亭、温泉場、板垣退助さん〔1277〕2006/10/14
2006年10月14日(土)今日もホントに良いお天気
穏やかな天気が続く高知県地方でございます。心地エイですな、まっこと。
ここは鏡川河口部。中の島のトン先です九反田(くたんだ)から東へ行った行き止まり。鏡川と堀川に挟まれた棒堤で、先っぽには石油屋さんのタンクが並んじょります。堤防の上を、川を眺めながら歩きよりましたら、鴨の家族がバタバタっと音を立てて飛び立ちました。もう、鴨がやって来る季節ながですなあ。
この堤防から見渡すと、某香川県資本のマンションがどっしこどっしこ見えるがにビックリしました。
西から東から、街のあちらこちらに同じ色をしたマンションが建っちゅうがはなかなかすごいもんです。
Jr.1号が、どこまでが海でどこからが鏡川なが?と聞きよりましたが、正式にはどうなっちゅうがでしょうか。ここ中の島の先っぽは、もう浦戸湾の風情です。向こうに見えるは「丸山台」。何度もご紹介しちょります。浦戸湾のど真ん中に浮かぶ島「丸山台」。
この島、藩政期後期までは普通の島やったそうですが、文化年間に潮江の堤を築く為にこの島の土を削り取って、その後平坦になったがやそうです。明治時代、ここに「此君亭」という料亭があったとかなんとか、諸説紛々なので、ここでキチンと情報を整理しちょきますね。
板垣死すともウンタラカンタラで有名な、板垣退助さんの岐阜での遭難事件が起こったのが明治15年4月6日。で、翌月5月14日、高知へ帰って来た退助さんの無事を喜んで、高知の民権派1000人がここ丸山台でお祝いの大宴会をやったとのこと。その時はまだただの平坦な島。で、翌明治16年、この写真の左方向の岸にあった料亭「此君亭」さんが島を丸ごと買収、「丸山台温泉場」を開業して、高知市民や民権派の懇親会場として栄えたとか。退助さんが外遊から帰った明治16年8月29日に大歓迎会をやったのも。この「丸山台温泉場」ということになりますな。
ところで1000名たあすごい人数。この写真を見る限り、とても1000名ものヒトがここで宴会できるとは思えません。で、調べてみますと、昭和21年の南海大地震の際、この島のかなりの部分が沈んでしまい、それまでの半分以下の面積になってしもうたがやそうです。なるほど。
今は公園みたいに整備されちょりますが、明治時代のように舟が主たる移動手段では無くなった現在、なかなかヒトが渡る機会はありません。現在、鳥たちの楽園として静かに浮かぶ丸山台です。