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朝倉古墳、赤鬼山、斉明天皇〔613〕2004/12/19

朝倉古墳、赤鬼山、斉明天皇

2004年12月19日(日)晴れ時々曇り

いよいよ2004年も押し迫ってきましたね。今日の日曜日は、午前中、高知県東部にある田野町へお墓参りと年末のご挨拶に行っちょりました。午後は鏡川遡行コースです。本社を出発し、ひたすら鏡川沿いを走りました。鏡川橋から鏡川を離れ、今月11日のにっこり[605]で行きました朝倉神社へと向かいます。ここでお参りしまして、この神社のご神体でもある「赤鬼山」の麓沿いに西進しますと、すこし小高くなったところに高知の三大古墳の一つ「朝倉古墳」というのがございます。写真がそれ。

その昔は、この石組みに土がかぶせられちょった訳ですが、今はご覧の通り巨石がむき出しになっちゅうがです。大きな大きな岩を組み合わせて造られちょりまして、この墓の主の権力の大きさを感じさせてくれますね。

造られたのは、この石室の構造から見て、7世紀前半と思われます。成る程。

7世紀後半になりますと、大化の改新の後の天智天皇の母斉明天皇がこの山の麓の朝倉神社にやって来たという言い伝えがあります。その前の時代のこの辺りを支配した実力者のお墓がこの朝倉古墳。そしてこの山が「赤鬼山」。

近年、天智朝と対立したことが明らかになりつつあり、天皇家や藤原氏などから「鬼」として扱われたのが「物部氏」や「蘇我氏」。日本書紀では悪者扱いですが、実は藤原氏が支配する以前の日本の支配層を形作ったのがこの物部氏や蘇我氏で、全国の豪族層に強い影響力を持っちょったことが明らかになりつつ有ります。事実はどうなのかまったく判りませんが、天智天皇、斉明天皇がらみの朝倉神社、赤鬼山、7世紀前半の大きな古墳、と並んできますと、この時代の勢力争いの構図がなんとなく理解できてくるような気がしますね。考え過ぎかな?

この赤鬼山の麓を再び出発し、また鏡川沿いへ戻ってひたすら遡上し、いつもの鏡村温泉RIOで温泉に浸かって帰って来た有意義な年末の一日でした。


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