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氏神様、地域の歴史、地形〔5292〕2017/10/11

氏神様、地域の歴史、地形

2017年10月11日(水)晴れ!

昨日は暑かったですが、今日も暑いとのこと。善き哉善き哉。

ここはいつもの野市、午前5時過ぎの上岡八幡宮さん参道入り口。ひまわり乳業の氏神様になる、上岡八幡宮さん。毎朝お参りにきてます。

ここは、物部川の東岸。弊社は西岸。広い一級河川、物部川を挟んで氏子が広がっているのが、上岡八幡宮。八幡様のある上岡の集落は、元々、西岸の物部村の枝村でありました。現在弊社がある物部村が本村で、上岡村がその枝村。

何故、一級河川を挟んで枝村があるのか。これはですね、物部川の流路に関係してます。間違いなく。

 

さあ。ここで地理院地図だ。

もうね。最近お世話になりっぱなしの地理院地図。この地理院地図に含まれる情報の数々に癒される日々。心の友、地理院地図ですな。

今朝も地理院地図→情報→主題図→土地条件図、と見てみよう。その土地の成り立ちが一目瞭然となる、土地条件図

わかりますでしょうか。薄く国道55号線が見えているのが。そして物部川本流。弥生時代から栄えた田村や、物部、立田界隈は、まあまあ固い地盤の物部川扇状地にある。東西には野市の台地と山田の台地。更新世段丘。その段丘の間を開削するように流れてきた歴史をもつのが、物部川。ついてきますか?

こうやって見ると、物部川の流路は、かつて、様々なところを走っていたことが、わかる。左右の更新世段丘に挟まれた部分を自由に流れてきた物部川。現在の流路に固定されたのは、藩政期初期の、野中兼山さんの土木工事が行われてから。

 

中世。

室町時代、土佐の守護であった細川氏は、田村に守護代を置く。高知空港の北。その頃の物部川本流は、地理院地図土地条件図で見るところの、空港を突っ切るような流れだったんですね。その物部川の西岸に置かれたのが、守護代屋敷。

つまり、その頃は、現在の野市の上岡村と、空港の東側の物部村は、同じ物部川の東岸にあった訳だ。だから、同じ村であり、その東端にあった山の神様を産土神と、した。それが現在の上岡八幡宮。

地域の歴史は、その土地の成り立ちによってできている。

 

地域の歴史。これは、そこに住む人々にとっては身近であり、とても大切なもの。

この写真の左に立つ標柱。幾度も幾度もご紹介してきました。安政地震の碑。

「嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、人いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記」と刻まれた、地震津波から26年後の明治13年に、地元の方によって建てられた、地震碑。幾度も幾度もご紹介してきました。

こうやって重要なことが記録に残され、語り継がれていくことの大切さ。特に地域にとっては、貴重極まりない情報。

 

そうそう。物部川では、地震津波だけでなく、大洪水による被害も無視できません。安政の南海地震が、寅の年に起きたので「寅の大変」と呼ばれたように、亥の年である1815年に発生した大雨による大洪水のことを、地元では「亥の大変」として語り継いできたそう。

山田堰より下流の堤防はほとんどが決壊し、この物部川の濁流は、西は五台山に達したという、未曾有の大洪水、亥の大変。

前浜のところで砂丘が破れ、そこから濁流が海に流れ出したので、そこに今も「切戸」という地名が残るほどの凄まじさでした。

 

地理院地図の土地条件図を見ると、どうやって五台山まで流れたのか、どうして切戸が切れたのか、理解できるのであります。

地域の大切な歴史。地形、土地の成り立ちの文脈にある、歴史。


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