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後藤象二郎と土佐教会と聖泉幼稚園〔5026〕2017/01/18

後藤象二郎と土佐教会と聖泉幼稚園

2017年1月18日(水)晴れ!

少しづつ寒さが緩んでくる。今朝は昨日よりは暖かい。
このところ、日本の神様の話が続くので、今朝はキリスト教。ここは高知市与力町の、キリスト教の教会、土佐教会。プロテスタントであるのは間違いないですが、どんな派に属するのかとかは全然知りません。全然知りませんが、僕は、この土佐教会に併設されている聖泉幼稚園の卒園児なんであります。
クリスマスにはキリスト生誕の劇をやり、イースターには筆山で卵を探す遊びをやったりした記憶があります。卒園後も、日曜日には、礼拝に来てました。いつ頃まで来てたんでしょうか。忘れましたが。

今、「パウロ」という本を寝る前に読んでます。偉大なるキリスト教プロデューサー、パウロ。彼はイエス・キリストの弟子ではありませんが、同時代の人物。たぶん、10歳くらいイエスより若い。で、熱心なユダヤ教徒として成長し、その戒律に背くようなキリスト教を排斥する側にいましたが、あるとき、キリスト教に目覚める。
そして、小アジアやギリシャなどに長期間布教の旅を行い、人々に大きな影響を与えていく。

初期のキリスト教は、ユダヤ教的な戒律を重視し、ユダヤ人中心主義を掲げる派閥が強かったとされます。そんな中、キリスト教をもっともっと人々にとっつきやすいものに考え、異国で、異国人に対して布教をしていったパウロは、キリスト教を世界宗教にした立役者でありました。
パウロが居なければ、今のようなキリスト教はなかった。いや、キリスト教自体が、ユダヤ教の一分派として一時的に存在しただけであったかも知れません。
しかし、パウロが、すべてを変えた。
新約聖書の大きな部分を、パウロが書いた書簡が占める、ということからも、パウロの凄いプロデューサー振りが理解できます。あの書簡群は、朗読され、文字が読めない人々にもパウロの考える軋るとの教えを広めるための手段であった。

イスラム教も、他民族や他宗教に対して懐の深い宗教であった。誰でもとっつきやすい考え方であり、宗教であった。なので、アッと言う間に広がってゆき、世界宗教になった、というのは厳然たる事実やと思います。今もムスリムが増えているのには、理由がありますね。

ところでこの場所。
右手前に碑が立ってます。後藤象二郎先生誕生之地、と刻まれた碑。
幕末、山内容堂の懐刀として活躍し、大政奉還実現に大きな役割を果たした後藤象二郎。維新後は盟友板垣退助とともに、自由民権運動などで奔走した、後藤象二郎。
板垣退助の家は、この数十メートル向こうにあり、幼馴染でもありました。板垣退助の東隣に住んでいたのが片岡健吉。維新や戊辰戦争で活躍した後、板垣とともに自由民権運動を推進した人格者。キリスト者としても有名な、人格者。

後藤象二郎は、口が達者で頭の回転も速い。非常に優秀な人物であったが、ちょっと俗人的なところがあり、風見鶏的な行動が、明治になってからの彼の評価を下げている感があります。面白い人物では、あります。とてもとても人間臭い。
で、彼の息子、後藤猛太郎という人物はこれまた、すごい。オランダ留学中に放蕩散財の挙句勘当されたり、調査に訪れたマーシャル諸島で勝手に領有を宣言して酋長を日本へ連れ帰ってきたり、銅山経営に手を出して破綻したり。
日活の前身の初代社長となったのも、後藤猛太郎。なんか、すごい。

この親子のことを小説にしたら、とんでもなく面白いものが書けそうな気がします。

謹厳な人格者にしてキリスト教徒、片岡健吉さんち跡ではなく、偉大なる俗人、後藤象二郎邸跡にキリスト教会ができたのは、不思議な感じがします。板垣退助さんち跡は真言宗のお寺、高野寺になっちょりますが。


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