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仁淀村、星ヶ窪の草競馬〔5015〕2017/01/07

仁淀村、星ヶ窪の草競馬

2017年1月7日(土)薄曇り

このにっこりひまわりでは、過去、高知県内各所の競馬場の痕跡をいくつかご紹介してきました。
公営競馬では、現在の南高校のところに残る高知競馬の痕跡カーブ。あと、昭和初期に3万人の観客を集めたという山田競馬
長浜競馬も、戦前、公営競馬として人気を博しました

公営競馬でなくても、高知県内、草競馬が盛んで、それこそ各所で行われておりました。現在の高知工科大学の所も、そう。有名なのは、仁淀川の河川敷、新川の草競馬。このにっこりでもご紹介しました。

そして。
今日は、松山で仕事。愛媛県の流通業外が集まる賀詞交換会。車で行ってましたので、高知への帰り、ここに寄ってきました。星ヶ窪。
国道33号線から、旧仁淀村役場の方へ国道439号線を入る。7km程走ると、長者。旧仁淀村長者は、長者川沿いの山の斜面に開けた古い集落ですが、結構な数の家が斜面に並ぶ。こんな山中の険しい斜面なのに、昔はさぞや賑わっただろう、という雰囲気をたたえた、長者。長者の集落を抜ける急な坂道をクネクネ上り、狭い狭い急坂を上ること数キロ。
標高600mの山頂に、突然、開けた場所が現れます。星ヶ窪キャンプ場。

星ヶ窪という地名は、昔、隕石が落下してきてできた窪地だから、という説があるそう。真相は、わからない。
ただ、この山頂、内側が窪地になり、池もある。その周囲を囲むように小高い外周。
そして、ここに、かつて、高知を代表する草競馬があったのだそう。

「土佐史談」の最新号、263号に、上記の高知の競馬史などを調べた長山昌広さんという方が、この星ヶ窪競馬のことを書いております。今日のにっこりは、その論文に基づいて、書いてます。

それにしても。
今では、ビックリするような山の上。こんなところで、本当に草競馬が行われていたのか。
近所に、藩政期末期に建立された琴平神社が鎮座。その神社への奉納競馬として始まったのが、明治32年とも、明治23年とも、言われているそう。内周295m、外周520mの馬場。馬場の幅は6mあったと言い、現在のこの姿よりも大分広く、走りやすかったと思われる。
戦前は年に2回、戦後は年1回開催され、昭和40年まで続けられたと言います。
そうか。僕が生まれた頃は、まだ、やりよったのか。

その人気は大したもんで、旅館には大勢のファンが泊まり、老若男女楽しんだという星ヶ窪競馬。若い娘さんが着飾ってきて、お見合いの場としても利用されたとか。
この、場所で。この山のてっぺんで。

今回、「土佐史談」に記事が書かれることになったきっかけは、NHK高知放送局がみつけた古い映像。星ヶ窪競馬の古い映像が、地元長者に住む岡村さんという方の所に残っていた、という訳だ。岡村さんの叔父さんが機械が好きで、そんな映像を撮影して残していた、ということです。
その映像は、今なら、ここ、NHK高知放送局の「あのころの高知」というコーナーで見れます
これを見ると、本当に賑やかで、皆が心の底から楽しんでいることが、わかります。

多い時には100頭の馬が集まり、1万人の観客を集めたという星ヶ窪競馬。高知でも有数の草競馬であったことが、わかります。
確かに、馬場を取り囲む丘は、観客席にボッチリ。良い、競馬場だったんだ。

今日、松山からの帰りに立ち寄り、こんな場所で、県民に大人気の草競馬が行われていたということを体感してきました。すごい。
今にも、ここを、農民の騎手を乗せた馬が疾走してきそうではありませんか。
春野、新川の草競馬場も、その馬場の痕跡を残しますが、ここ星ヶ窪競馬場は往時の姿を一番残していました。


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