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高知城の石垣、石樋、角閃石〔4999〕2016/12/22

高知城の石垣、石樋、角閃石

2016年12月22日(木)降ったりやんだり

にっこりひまわり4999日目の、朝。
今朝、一日で一番気温が低いとされる夜明け前、会社に停めてある車の外気温計を見ると、そのデジタル表示は「19」。19℃だと?
12月終盤の、朝6時過ぎの気温が。なんという気候。台風も南の方では発生し、今日は一日暖かい一日になるとのこと。なるほど。地球も変わっていってます。

写真は今朝、5時頃の高知城。三ノ丸から天守方面を撮影。今日の天守も、樹木に少しだけ隠れちょります。
この、美しい三ノ丸の石垣。高さは約13m。この美しい石垣は、近年、大補修工事が行われました。工期は、2004年から2009年。そうか。このにっこりひまわりを始めたときは、まだ、補修工事前でした。

文献によりますれば、ここの石垣、慶安三年(1650年)の大雨、宝永四年(1707年)の南海地震で崩壊、修理された、とある。山の形状と石垣の組み方が、なかなか難しい場所と見えます。
で、1999年に実施した調査で、再び崩落の危険がある、という判断となり、大工事が行われることとなったのでありました。

使っている石は、できるだけそのままに。割れた石だけ取り替えて。外見は、それまでと寸分違わぬように。そうやって5年間かけて行われた工事の総工費は4億円と言いますき、すごい。
この石垣は、野面積み。近江国の穴太衆を呼んできて、積んだとされます。当時の日本最先端の技術者集団。雰囲気、ありますよね。

今回の補修工事の際の調査で、様々なこともわかってきた。
一番大きな発掘成果は、なんと言うても、長宗我部時代の石垣でしょう。現在の石垣よりもひと回り小さい石が積まれた石垣が、この石垣の内側から出てきたのであります。
長宗我部元親が、岡豊からここ、大高坂山に本拠を移したのが天正十六年(1588年)。使用している石はチャート。一部に石灰岩や、砂岩。まあ、この界隈で産出される石。

戦国期の城は、基本、土盛りの城。石垣を築く、という手法がとられ始めたのは、戦国も末期になってから。この大高坂山に、石垣を積み、築城したというのは、元親の先進的な思考の結果だと思います。
長宗我部元親という武将は、中央の武将とも緊密に連絡を取り合いながら情報を集取する、とても頭の良い武将。最先端技術にも関心が深く、これからの自分の本拠とする場所を、最先端の技術で構築したかったのかも知れない。

この、シャッタースピードを遅くして撮った写真、天守が模型みたいに見えますな。
石垣の手前部分に、石樋が突き出しているの、わかりますでしょうか。今回の工事による調査で、この石樋につながる排水路が確認されました。この高知城、こんな石樋があちこちにあるところから、雨水の排水に、かなり考慮したお城であることが、わかります。
これは、最初に築城した際につくられたのか。
いや、慶安三年(1650年)の大雨で石垣が崩壊した際、専門家が考えに考えて編み出した方式かも知れません。お陰で、どんな大雨が降っても、崩れることのない石垣になりました。

先人の知恵がつまった、美しいお城。

この、お城が立つ大高坂には、古い古い地層があることも、最近知りました。
秩父累帯の中の黒瀬川構造帯。この地層は、海洋プレートが運んできたものではなく、ゴンドワナ大陸由来とされます。その黒瀬川構造帯に含まれる寺野変成岩。変成したのは4〜5億年前ということで、その主たる石が角閃石なんですね。
で、この高知城の山には、その角閃石が露出しているとのこと。4億年前の変成岩が。

4億年前の変成岩の山に、中世、大高坂氏が本拠を構築し、長宗我部元親が石垣を積んだ城を建て、山内一豊が高知城を築城した。ああ。歴史。

明日は、いよいよにっこりひまわり連続5000日です。


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